「できた!」の一言を求めて「教育は愛」No.131

中学年

体育授業ー18(中学年)「できた!」の一言を求めて

◆体育の授業研究会に参加すると、必ずと言ってよいほど話題となるのが、「めあて」の設定の仕方です。

 「めあて」とは、子どもたちができそうで、できないことを懸命に努力しているところに醍醐味があります。できそうでできなかったことが、試行錯誤して、学習しているうちにできるようになる。子どもたちから「できた!」の一言を導き出せた時、設定された「めあて」が本物の「めあて」になったと言えるのです。

 4年生の跳び箱運動の授業でした。子どもたちは、嬉々として跳び箱を跳んでいます。しかし、ある程度、跳ぶという達成感を味わっていると今のままでは満足できなくなります。この時点で、次の「めあて」を提示しなくては、学習は停滞してしまいます。

 跳び箱運動が得意なK君は、開脚跳びを軽々と跳んでしまいます。そこで、K君には、難しい条件を提示します。踏み切り版の位置を跳び箱から遠ざけたり、腰の高さを頭より上に持って行くことを提示したりします。

 そして、自分で三回できたら、次の段階へ進むことを約束します。できたというのは、跳んで着地が両足でピタリと静止できた状態を言います。ただ、跳びこすことだけを意識させると着地が疎かになり、けがに結び付く危険性があります。跳び箱運動は、着地の指導から入ることが鉄則です。

 K君は、私が示した「めあて」に向かって一生懸命に練習します。そして、「できた!」と喜びの声をあげ、私や友達にアッピールしていました。

 できそうでできない程度の「めあて」が大事だと先程書かせていただきましたが、子どもたちを伸ばすことができる「めあて」には、次の三つの条件があると考えます。

  • 子どもたちができそうでできない程度の内容であること。
  • 「めあて」を達成した時のイメージを明確に持つことができること。
  • 発展性の系統が明確であること。

 この三条件が目の前の子どもたちにドンピシャと当てはまれば、授業は「できた!」という嬉しい声で溢れるはずです。

 反対に、器械運動の授業で、どんなに子どもたちが一生懸命に練習していても、「できた!」という声が聞こえなければ、活動あって学びなしの授業に陥ってしまっている可能性があります。

 「めあて」があって、初めて学び(学習)が成立するのです。

子どもたちから「できた!」という声が次々に聞かれる授業には、「めあて」があります。生きた学び(学習)が展開されている証拠です。

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