家庭教育-9 劣等感を払拭する方法
◆父親がいないことにより、貧乏のどん底で劣等感に苛まれていた私が、劣等感を払拭できたのは中学校2年生の時でした。どうやって劣等感を払拭できたのか、大人になってから冷静に考えてみました。
父親のいない家庭生活は、貧乏との闘いでした。母は、一生懸命に働いて2人の男の子を育ててくれました。
しかし、貧乏は変わりません。食事は、茶碗一杯のごはんと煮干しを醤油で炒めたものを3人で食べたこともありました。
お正月に初めて焼き鳥を食べた時には天地がひっくり返るほどビックリしたものです。その時の感動を学校で絵に描いたのですが、焼き鳥をご馳走だと思っていない友達は「これは何?」としつこく聞いてきたのを覚えています。
電話を引いていない、新聞をとっていない、牛乳をとっていないのもわが家だけでした。
父親がいない家庭は、私の家ともう1軒ありました。離婚ではなく、事故で亡くなってしまわれた家庭でした。
私には、なぜ父親がいないのか? 友達から質問されても答えることはできませんでした。
私の母親は、江戸っ子気質であり、子どもたちの前でいつも明るくしていました。
クヨクヨ悩んでいると満面の笑顔で私たち兄弟を励ましてくれたものです。
そして、歯切れがいいのです。大きな声でバサバサと言い切るのです。聞いているだけでスッキリします。心の迷いも吹き飛んでしまいます。
ただ、どこでも大きな声を出すので時々、恥ずかしかったこともありました。
母は、勉強や運動、学校の成績のことには一切否定的なことを言いませんでした。
ですから安心してオール2(当時は5段階評価)をとっても胸を張っていたのです。
中学校1年生の終わりに、学力テストが行われました。学年の順位が初めて出されたのです。この時の順位は120位でした。自分ではもっと勉強ができると勝手に思い込んでいたので、現実を目の前にしてショックを受けたものです。根拠のない妙な自信があったのです。今にして思えば、ショックを受けるなどおこがましいものです。
冷静に考えてみれば、授業中は座って先生の話を聞いてはいたものの学習内容の理解はしていませんでした。家でも勉強の「べ」の字もしていませんでした。順位がよいはずはありません。
そのことに気付かされてから、1年生の教科書を1ページ目から復習することにしました。
2時間程度の勉強でした。これを毎日続けていたところ、問題集の問題が、いつの間にか解るようになってきたのです。生まれて初めて家で勉強したのです。
2年生になると中間・期末の定期テストでも順位が示されるようになりました。
1学期の中間テストで、いきなり学級順位1位になったのです。そして、全校の順位が示される学力テストでも1位になりました。
すると、友達や先生たちの私に対する接し方が変わっていくのを感じました。私は、初めて友達が持っているモノを上回るモノを手にしたのです。それが、学力テストの順位でした。
劣等感は、他人に比べて劣っているモノを自分の中に認識するから吹き出てくる感情だと思います。劣等感を払拭するためには、他人よりも優れているモノを持つしかないのではないでしょうか。
モノと言っても、物ではなく、能力のことです。
学力、運動能力、絵画や音楽など、何でも構わないのです。「自分はできる!」と自信を持てるモノがあればよいのです。そして、自信を持つためには努力が必要です。努力してできるようになったからこそ、自信が持てるようになるのです。
子どもは、そこで、努力すればできるようになる、という生きていく上で大切なことを学ぶことができるのです。
そして、それを見出し、磨いていくのは他ならぬ自分自身なのです。
そのことを子どもたちに理解させるために教育があるのではないでしょうか。
中2以降、私はようやく父親がいないことによる劣等感を吹っ切ることができました。もう、自分のマイナスに目を向けるのではなく、自分の持っているプラスに目を向けることができるようになったのです。
最早、私には父親の存在は必要なくなり、劣等感はなくなりました。
その背景には、私のことをいつも肯定的に、明るく支え、励ましてくれた母親の教育があったお蔭と感謝しています。