人生の師-1 永遠の人生の師
◆人生とは真っ暗な外海を航海する一隻の船に例えられることがあります。羅針盤の無かった昔の船乗りは北極星を頼りに航海したそうです。
私達にとって、北極星、羅針盤となるのは、師の中でも特別な方だと思います。
私は、人生の羅針盤となる師を「人生の師」と呼び、今も人生航路を続けています。
「我以外皆我師」は、小説『宮本武蔵』で有名な作家、吉川英治氏言葉のだと言われています。生きていく上で、自分以外の人から様々なことを学び自分を成長させていく、このことは、ある程度の年齢になるとしみじみと思うものです。
若かりし時は、他人の言動に感情的になり怒ったり、喧嘩したりすることも多々あります。
しかし、時を経てみると「あの時の思いがあったからこそ、今がある」と感謝さえすることもしばしばです。
このように、私達は、出逢った人々を師と仰ぎ、感謝しながら生活しているのです。
その中でも昔の船乗りたちが、時間が経っても位置を変えることのない北極星を目印に航海していた如く、人生の中で常に変わらず、生き方を導いてくれる師、「人生の羅針盤」とも言える師を「人生の師」と呼べるのではないでしょうか。
私も、今までに数え切れないほどの師に導かれ、そのお蔭で今があります。
感謝の気持ちで一杯です。
しかし、あれだけ尊敬して止まなかった師なのに、お付き合いを重ねるうちに、その方の聞きたくなかったような本心に触れ、ショックを受け、距離を置かせていただいた方がいるのも事実です。
時を経ても尊敬の念が全く変わらず「あの方だったら、こんな時、どうしただろうか?」と常に自分の判断基準となるような師には、なかなか巡り逢えないものです。
幸いにして私には、人生の師と呼べる方が二人います。
お一人は、巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんです。
私が、小学校6年生の時に現役を引退され、引退セレモニーをはじめ、今までの足跡を様々な報道で知り、道は違えど長嶋さんのような生き方をしたい、と憧れを胸に刻み、そのまま現在に至っています。
長嶋さんとのエピソードを語り出すと永久に尽きることはありません。
もうお一方は、授業実践を研究の中心に据え、日本の体育科教育を牽引された髙橋健夫先生です。髙橋先生の研究や文献は、私のように体育授業を担当している教師にとっては、正に尊敬と注目の的でした。
髙橋先生とは、教諭時代に1年間の研修期間をいただいて大学の講義を聴講したり、全国の研究会に随行させていただいたりする幸運に恵まれました。
ここで学んだことは、体育科教育についてはもとより、研究会や懇親会などでは、髙橋先生の人とのお付き合いの仕方、懐の深さを目の当たりにして学ぶことができました。
沢山の偉い肩書がある方なのに、学生さんでも私たちのような研修教員に対しても、皆、同じように笑顔を交えて真剣に議論してくださる、そういう方でした。その後も髙橋先生とはご逝去されるまで、親しくご指導を頂戴していました。
それまで、私も数多くの教育委員会や大学の先生方と交流させていただいていましたが、髙橋先生程、爽やかに、しかも実のあるディスカッションをさせていただいたことはありませんでした。
人間は肩書でなく、その人が持つ熱い思いが何よりも大切、そのことをご自身の言動から教えてくださった方です。
髙橋先生がいつも口にされていた言葉、それが「教育は愛」でした。
大好きなビールをお替わりしながら「愛の髙橋です!」とニッコリと微笑まれる髙橋先生、その素敵な笑顔に魅了された人は老若男女を問わず数限りなく。
髙橋先生が鬼籍に入られてから、髙橋先生のおっしゃっていた「教育は愛」という言葉は、今まで以上に私の心の中で大きく響くようになりました。
そして、髙橋先生はこの言葉から何を私たちに伝えたかったのか、アレコレと考え続けるようになりました。
考えれば考える程、深い言葉です。
それも、人間力に溢れる髙橋健夫先生が口にされていたからこそ心に響き続けているのです。
私は、髙橋健夫先生という偉大な先生を丸ごと尊敬しています。
ですから、響く深さも他の人とは違うのではないでしょうか。
以後、私は体育授業研究会や、教員研修会の中で「教育は愛」という言葉を通して、教師の子どもたちに対する姿勢、授業に臨む姿勢についてお話しをさせていただいています。
そして、本ブログのタイトルや勤務校での校長通信のタイトル、学校だよりも「教育は愛」と付けさせていただいています。「教育は愛」は、今の私にとって人生そのものなのです。