子どもたちを変容させること 「教育は愛」No.30

学校教育

学校教育ー10 教えるということは子どもたちを変容させること

◆「教えるということは、子どもたちを変容させることであり、子どもたちが変容していなければ、真に教えたとは言えない。」

 私が教師になりたての時に大先輩からご指導いただいたことです。厳しい言葉です。

 確かに、この教訓は教育の本質をとらえています。問題行動を繰り返す子どもを前に「私は前からこの子には指導していたのですが・・・」と言い訳をする教師を見るにつけ、この教訓を思い出しました。

 この場合、教えたというのは、あくまで教師自身の自己満足に過ぎない、子どもが変容していないのだから、それは教育したことにはならないのでは、と。

 小学校で体育科教育を自身のライフワークとして研究していた時もこの教訓は常に私の頭にありました。自分が行った体育授業によって子どもたちはどのような変容をしたのか、それを髙橋健夫先生が開発された授業評価法等を活用して検証し、自己満足の授業研究から脱するよう努力してきました。

 髙橋先生の授業評価法は、医師のカルテのように、授業を進める私にとって、子どもたちの状況を正しく把握して、次の授業に備えることに役立ちました。

 まさしく形成的授業評価が可能になったのです。しかも、この授業評価法を用いれば、全国の授業実践との比較対照も出来るという利点もあります。

 髙橋先生は、授業評価ツールを開発して、客観的に子どもたちの変容を明らかにされました。それ以前の体育科研究では、教師が独自に作成したアンケートや「かなり上手にできるようになった」「跳び箱5段を90%の子どもが跳べるようになった」など、何とも心許ない教師の主観により、子どもたちの変容を検証することが多かったのです。

 しかし、教師の主観が入った検証でも、授業研究を熱心に行い、肌で子どもたちの変容を日々感じていた教師は、冒頭の大先輩の教訓に納得し、それをまた後輩に伝えていたのです。

 教育という業は、職人芸です。クラフトマンシップに富んでいる分野です。あながち、経験や勘を否定できるものではありません。

 さて、教育は子どもたちを変容させる取組です。変容させることができなければ教育ではありません。

 しかし、20数年を経てある教え子と再会し、その変容した姿に新たな視点を見出しました。

 それは「時間」という視点です。

 つまり、今日の授業の結果が今日表れる、その結果をもとに明日の授業を組み立てる、これが私のやってきた授業実践でした。

 しかし、今日教えたことが10年以上経ってから表れることもあるのです。

 そして、その結果は自分が行った教育だけでなく、それ以降にその子どもが受けた様々な教育が複合的に作用して、実を結ぶということが、自分の教え子の立派に成長した姿から学びました。

 そう考えると、教育は子どもたちにとって一生モノの営みと言えます。

 医師が心臓の手術をした結果が、その人の命を救い、一生涯に亘って生きる力を与え続けるのと同じように、教師が行った今日の教育が、数十年に亘り子どもたちの生きる力になることもあるのではないでしょうか。

 ハーバード大学では、30年間以上も子どもの変容を追跡している研究もあるそうです。人づくりたる教育の成果を検証するには、子どもたちの歩んでいる歴史を記録し続けるという長い時間軸の考え方も必要なのかも知れません。  

 教育とは、子どもたちの「人生づくり」の一助ですから。

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