学校教育ー19 理に適っている「守・破・離」の学習過程
◆体育科教育にも色々な考え方があります。ボールをコートにひとつ置き、ボールが子どもたちに何かを語りかけてくるのを待っている、ソフトバレーボール(小学生)の授業も参観させていただいたこともありました。
流派というのでしょうか、色々な理論に裏打ちされた体育授業は、平成の時代に入ってから盛んに見られるようになったと感じています。
そして、令和の時代では、いかにICTを活用していくか、情報を体育授業にどのような形で取り込んでいくかが注目されているところです。
私は以前、体育サークルで「守・破・離」の学習過程という考え方を学びました。
この学習過程は、不易と流行の不易にあたる部分だと考えています。今後どのように教育の姿が変わって行っても、教育の基本的な学習過程のひとつとしてベースに置いてもよいのではないでしょうか。
昭和の終わり頃から、しきりに社会の急激な変化に対応することが教育の中でも話題となり、令和の今でも社会の変化が一番届きにくいところは学校教育である、と揶揄されることもあります。
コロナ禍を境に、社会の変化が特に加速しているのを感じます。ICTは、IOTが当たり前のSociety5.0の時代にはなくてはならないツールです。
子どもたちを教育する上で、最早必須の存在がICTであり、今後さらに発展することが考えられるのがAIです。事実、生成AIの問題は、国でも真剣に検討され、今後益々エスカレートしていくことが予想されます。
しかし、日本の教育という営みを考えてみると「将来、世界をリードする日本人を育成する」ことが目的となるのですから、日本人としての基礎基本は、しっかりと身に付ける必要はあります。ひらがなは書けないけど、ICTを使えるから社会で通用するということは考えられません。
「守・破・離」は、元々、武道の学習過程だと言われています。
まず、基礎基本をみっちりと学習し、定着させる。その上で、基礎基本を発展させた内容に入り、最終段階では、自分で考えた全く新しい内容を創造するという学習過程です。物事を習得する上では、とても理に適っている学習過程だと思います。
私も少年時代、剣道をかじったことがありますが、始めは素振りと蹲踞、礼の仕方などの繰り返しでした。
腕の使い方、すり足の行い方など、剣道に必要な基礎基本をひたすら練習したものです。
やがて、切り返しと呼ばれる竹刀を合わせる基本の打ち方を学び、ようやっと防具を付けるのです。
この段階では、今まで身に付けた基本の打ち方を用いて、相手との打ち合いの中で技を仕掛けるタイミングなどを会得します。
残念ながら、私の剣道はこの「破」の序段階で終わってしまいました。さらに上級になると、自ら工夫した打ち方や剣運びを工夫することになるのでしょう。
物事を学び、身に付けるには、この「守・破・離」の学習過程はとても理にかなっていると思います。
特に義務教育段階では、指導しやすいし、子どもにとっても学びやすい学習過程だと思います。
ただし近年、パリオリンピックでも大活躍したブレイキンやスケートボードなどの一部のスポーツでは、YouTubeの動画を見ながら自主的に技を磨き世界で通用している若者も現れています。
すでに「守・破・離」の学習過程を超越した学習過程と言えるでしょう。
ですから「守・破・離」の学習過程一辺倒ではなく頭を柔らかくして、学習内容により子どもたちにとって効果的な学習過程の姿を研究したいところです。