生涯学習ー5 生涯学習の観点で教師も視野を広げたいものです
◆学校教育に携わっていると、ついその結果を短い期間で評価したくなる傾向があります。
よく小学校の教師が口にするフレーズです。「小学校時代には不登校の傾向など見られなかったのに中学校へ進学したら不登校になってしまった」
しかし、子どもは、常に発達しているのです。保育園・幼稚園時代、小学校時代、中学校時代、高校時代・・・とその子どもが直面する課題はそれぞれ異なります。
それなのに、自分が携わった期間(小学校)では成果が見られたのに、どうしてその成果を中学校では引き継がないのか?という少し身勝手な物言いになってしまってしまうことがあるのです。
そもそも、子どもたちの人生に成果が表れるのはもっと長い期間、長い視野が必要ではないでしょうか。生涯学習の視点を持って、子どもたちの成長を眺めることも教師には必要だと思います。
自分が担任している間の子どもたちの成果と課題を的確に把握し、日々の教育活動に生かすことは、大切なことです。髙橋健夫先生の研究室で開発された「形成的授業評法」は、まさに医師のカルテの如く授業改善に機能していました。
しかし、その子の人生を考えた時、学校種を超えた、様々な教育や環境が大きく左右しているのではないでしょうか。
生涯学習の観点を考えると、学校教育における学習、家庭教育における学習、社会教育における学習、個人学習の全てが範疇に入ります。
学校の教師が携わる学校教育は、人生100年時代を迎えた今、その内の僅か25年程度しか影響を与えていないのです。
私は小学校の教師ですが、教え子たちが成人し、招かれた同窓会の席でハッキリと言われました。
「千葉先生から教わった授業のことは、あまり記憶にないのですが、一緒に遊んだり、叱られたりしたことは、ハッキリ覚えています」と。
私は苦笑しながら、その子たちとの再会を喜び、会話を楽しみました。
そして、私が当時話した何気ない会話について、子どもたちが鮮明に記憶していたことに驚いたものです。
つまり、授業で子どもたちの将来を拓くと大見栄を切っていたわりには、私が教育したことは、子どもたちの記憶には、あまり留められていなかったのです。
そして、当時目立たなかった子どもが、大きな劇団の大道具係をしていることや、都内の銀行で大活躍していることなどの報告を受け、驚いたり、喜んだりしたものです。
こうして考えると、私を含めて学校の教師というのは視野が、あまりにも目先のことだけにフォーカスしているのではないかという思いに至りました。
学校教育は、子どもたちの人生を拓く上で、ほんの一部であり、全てではないのです。
それなのに「これができないと将来、社会に出てから苦労しますよ」などと、学校教育がすべてのような言い方で指導をしてしまうことがあります。
これはこれで教師の気概や信念に裏打ちされた指導であり、大切なことだと思います。
しかし、視野だけは広く、長く、持っていたいものです。
同窓会で教え子たちと会話しながら、自分が行っていた授業内容にある種の無力感を感じていた時に、一人の教え子があたたかい言葉を贈ってくれました。
「俺は学級の中で千葉先生に一番叱られたと思います。でも、小学校卒業後、中学校や高校で、色々な先生に教わりましたが、俺の中で先生と言えば、千葉先生です。千葉先生が一番の先生です」
※心から感謝の気持ちでいっぱいです。教え子は教師の生きる力です!