学校教育ー21 小学校体育・ゲームを管理することとは
◆担任時代の話です。私がかつて勤務した小学校で、体育の授業研究会を行った時のことです。
2年生のドッジボールの研究授業でした。研究協議会の指導者は、元県の体育科担当指導主事を務められ、県の教育行政の中枢でもご活躍された方です。ご自身の教育理論を明確に持たれていて、私が尊敬する先生でした。
体育主任兼研修主任の私は、研究授業の展開中も、この指導者の先生から本音のご指導をいただこうと思い、先生の側でいろいろと質問させていただき、ご指導をいただきました。
その時の指導者の先生のコメントが実に鮮烈でした。
◎「指導だの、誉めるだのという前に、ゲームが管理されていなければ話になりません。ゲームを管理することができて、初めて子どもたちを指導することができるのです」
◎「まず、時間の管理でしょう。どういう時にゲームが始まり、どういう場面に何を行うのか。それをハッキリさせておかなければいけませんね。」
◎「その次に合図や号令を明確にすることです。孫子の兵法にもありますね。『衆をもって寡となすは、形名これなり』と」
◎「子どもたちが教師のことを意識していませんね。どうせ、先生は面白い話をしてくれないから、という雰囲気が漂っています。子どもたちが教師を意識していないということは、教師は子どもを管理できていないという証拠です」
◎「教師の立ち位置もよくないですね。教師が子どもたちに対して、120度の視野を確保していません。そして、教師が動き過ぎです。子どもの側に行って教えてあげたいという情熱は分かりますが、あれだけ教師が動いていると子どもは教師のことを意識できません。
子どもに教師を意識させ、緊張感を持たせるためには、教師の全貌を見せてやらないといけません。少なくとも、子どもたちから8歩は下がって立たないといけませんね」
◎「子どもを並べる時の基本は2つあります。1つは動かない基準を子どもたちに理解させること、もう1つは、指揮者(指導者)は動かないこと、の2つです」
◎「教師は授業の主催者であり、演出者であり、指揮者であり、指導者なのです」
指導者の先生は、熱心に授業を参観され、コメントを続けられます。「このような感じで指導をしていると、高学年では、反発してくるでしょうね。いや、低学年でも反発するのではないでしょうか」と警鐘を鳴らしてくださいました。
事実、この授業者の学級は、日頃の授業から教師の指示を聞こうとしなくなってしまったのです。
「たかが授業、されど授業」、授業での教師の指導ぶりから、教師の力量だけでなく、学級の様子まで如実に伝わってしまうものです。
特に、この指導者の先生のように数多くの授業や学級を参観されている熟練の教師にとっては、一目瞭然なのでしょう。
私は、日々実践している授業の奥深さやその授業にかける教師の想いの重要性について、この日の授業研究会から深く学ばせていただきました。