嘘    「教育は愛」No.60

人間学

職場ー10 職場で嘘をつく人と出逢ってしまったら

◆職場では色々な人と出逢います。素敵な人、尊敬できる人、窮地を救ってくださった人、大喧嘩をした人、嘲笑された人・・・実に様々な人と出逢いが、自分の人生や仕事に影響を及ぼしてくれました。

 その人たちとの出逢いは、自分の人生の何処かに生きているのを感じます。もちろんいい出逢いばかりではありませんでした。砂を噛むような出逢いもありました。

中でも、巧妙に嘘をつく人とはできれば、出逢いたくなかったものです。

 ドラマの一場面で、「ひとつ嘘をつくと他に7つの嘘をつかなくてはならなくなる」というセリフがありました。

 大きな嘘をつくと、それを正当化するために7つの嘘どころの騒ぎではなくなります。数え切れないほどの嘘をつくようになります。そして、気が付くと、その人の話していることのほとんどが嘘だったことに気付かされます。

 そして、不思議なもので、嘘はある時、思わぬところからバレてしまうものです。色々な人に嘘をついている内に自分の中で考えていなかったようなとことから綻びが出てしまうのでしょう。何かの機会にポロリと出てくるのです。

 若い内なら苦し紛れに嘘をついて誤魔化そうとすることもひとつの愛嬌として許されることもあるでしょう。若気の至りと判断されるからです。

 しかし、50歳を過ぎて、大真面目で嘘を繰り返しているとなると、その人に対する信頼は揺らぎ、その人の生き方そのものに対する信頼さえ大きく崩壊してしまいます。

 「いかなる優れた人物でも、ケチだと分かったら、その人物の見るべきところはない」という教訓を何かの本で読んだことがあります。中国の諺だったと思います。

 50歳を過ぎた人の嘘は、ケチどころでは済まないと思います。その人間が、いかに優秀だと評価されていたとしても、その裏で巧妙な嘘をつき、自分の株を上げようとしていたとしたら・・・最早、その人には何も見るべきものはなくなります。

 このような人と出逢うと、頭に来るのを通り越して、呆れて笑ってしまいます。

 衝撃ではなく笑劇です。

 嘘だと解ってしまえば、推理ドラマの謎解きのように、今までの点が、全ては納得できる一本の線で結ばれます。

 人に迷惑をかけても自分さえ良ければよい、という考えから嘘を重ねていたのでしょう。

 この手の人は、ドラマの中だけでなく同じ職場の中にも存在することもあるのです。

 職場では、色々な人と出逢い、その人たちのお蔭で自分の人生を高める機会に溢れています。

 出逢った全ての人が、自分の人生を歩む上での大切な教材なのです。

 ただし、心に衝撃を受けないように、自分の中でショックアブソーバーとなる教訓を日頃から磨いておくことが肝要ではないでしょうか。

 私は、40歳頃を境に、幾つかの教訓や素敵な方たちから受けた教訓を絶えずアップデートするよう努めています。ですから、嘘をつく人と出逢って衝撃を「笑劇」に変換することができたのです。

 そうでなければ、人間不信に陥ってしまうところでした。

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