学校教育ー23 自分のことを異国の地で見直す
◆イギリスとアイルランドへの海外研修では、異国で自分のことを見直す良い機会にもなりました。
日本の生活と隔絶された中で歴史を感じるイギリスの街並みや豊かな自然に身を任せ、自分のことをじっくりと内省できたのです。
海外研修では、幾つもの教育施設を訪問し、現地のスタッフとディスカッションをする予定が組まれていました。
学校、教育委員会、研修センター、地方議会では議場も見学出来ました。
そして、夜と土日は自由行動です。イギリスのパブへ行き、現地の人たちのギターに合わせてビールを楽しみました。
日本から来た客人も1曲!とリクエストされ、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」を日本語で歌い、拍手喝采を浴びたこともありました。とても気さくで、あたたかい雰囲気でした。
帰国前1週間は、ロンドンで研修のまとめです。渡英当初は、不安なので20名の派遣団のメンバーと一緒に行動していましたが、この頃になると皆が単独行動です。そこそこの日常会話には、不自由しない程度まで順応していましたし、地下鉄やタクシーの使い方にも習熟していました。
私はトラファルガー広場が好きで、広場を散歩してはロンドンの街並みを楽しみました。一人で異国を散策していると日本での仕事を一切忘れ「自分とは何か?」と哲学的な感傷に浸ることができました。
日本では、体育の研究校に勤務していたため、年がら年中、朝から晩まで、体育授業の研究に追われていました。土日も、体育研究サークルに足を運ぶなどして、全く家庭を省みない悪い父親です。
研究を重ねたところでサラリーが上がる訳ではありません。
◎自分が正しいと考えている事は本当に正しいのだろうか?
◎今、自分が行っている体育受業、日々の授業は、本当に子どもたちの力を育んでいるのだろうか?
◎ところで、自分は、自分の家族を幸せにしていると言えるのだろうか?
◎余暇を楽しむことのない生活は美徳と言えるのだろうか? 等々・・・。
ビッグベンを見ながらテムズ河添いを歩きながら考えたものです。
イギリスのホームステイ先のイアンさん、ジルさんは仕事には一生懸命でしたが、どこか余裕がありました。
夕食は、ほぼ定時に、笑顔でゆったりと語らい、週末にはドライブをして自然や食事を楽しむ、生活のリズムが日本での私のように忙(せわ)しくないのです。
また、私がロンドンに滞在していたのは10月~11月でしたが、道行く人たちの服装は実に様々でした。Tシャツ1枚で歩く人、コートを着込む人、雨が降っても傘をさす人、ささない人、皆が自分自身をしっかりと持っている印象を強く感じました。一人ひとりの行動に明確な意志を感じたのです。
きっと私自身にアイデンティテーというものが希薄だったのでしょう。常に周囲を見て他人の目や評価を気にしながら生活していたのが当時の私の姿だったのです。
バッキンガム宮殿、ロンドンブリッジ、マダムタッソー、バーバリー本店、ハロッズ、ホテル・リッツ、ロンドンの地下鉄、レイクディスクラクト、スコットランド城、ギネス工場、日曜礼拝をしている教会・・・色々な所を訪れ、その歴史や空気を胸いっぱいに吸い込みました。
そして、時差が12時間近くある日本から遠く離れた異国に自分が居ること自体が不思議でなりませんでした。
あくせくすることはない、地球は私が思っているより遥かに大きい、自分の仕事や人生なんて、地球全体か見たら何て、チッポケなもので、私が生きている時間など、ほんの瞬間にしか過ぎないのだ、ということを実感したのです。
帰国前3日間は、ロンドンのナショナルギャラリーに通いました。私のお目当ては、ダビンチの聖母子のデッサン画です。その絵は、専用のコーナーに展示してあり、絵を照らす照明の他に灯りはありません。そのコーナーに足を運ぶと、時間も空気も一変したのです。
私は、絵の前に用意されたベンチに座り、飽きることなく何時間もこの絵を見て、ダビンチと会話しました。
「自分はこれからどのように生きていくべきか?」「自分の生まれてきた理由はどこにあるのか?」私の問いにダビンチは絵の中から静かにヒントを与えてくれました。
そのヒントの一つひとつは、今でも自分の生活に生かされています。
これが私の海外研修の一番の成果だったかも知れません。