職場ー12 ムーンショット計画、G係長との想い出
◆アメリカ合衆国の第35代大統領、J.F.ケネディ氏がアポロ計画を発表し、人類を月面着陸させるという前代未聞の挑戦を有言実行しました。このことから、困難だが達成できれば大きな成果をもたらすと思われる壮大な計画のことは「ムーンショット(Moon Shot)」と呼ばれるようになりました。
現在、内閣府でも2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現するムーンショット目標を打ち出しています。
以前、私が勤務した教育委員会のある課でも「ムーンショット」を提案したことがありました。この時のG係長との想い出は、今も忘れることができません。
私がお世話になっていた課では、学校にICTをどのように普及させるかを真剣に協議していました。当時は、児童生徒数の3分の1にタブレットPCを普及させることが大きな目標でした。
実現させるには、インフラの問題、予算の問題、学校の実態等々、一口でOKとは言えないようなシビアな問題が山積していました。
しかし、これが実現すれば、学校教育は大きく変革するはず、何とか実現しよう、と呼びかけ、その目標を「ムーンショット計画」と呼び、担当係のG係長へ投げかけたのです。
G係長は、当初、かなり困惑していたと思います。しかし、そのような表情を露とも見せず「分かりました。やってみます」と快く頷いてくれたのです。
その後、計画案を私のところへ何度も提示してくれましたが、私はさらに改善するよう注文を付けさせていただきました。G係長の持ってきた資料は、きっと、土日を返上して作り上げたことが見て取れる精緻なものでした。それが分かった上で、さらなる注文を要求したのです。
その時のG係長の様子が今でも忘れられません。
「この部分をこのようにしてもらえませんか?私が考えているのは、ここからこうなって、このように整理し、見ている人がすぐに理解できるような資料なんです」とそのイメージを伝えます。
G係長は、頷きながら私の話を聞いてくれます。
私が「どうですか?イメージはできましたか?」と語りかけると「大丈夫です。所長がイメージされていることが理解できました。形にしてみます」と笑顔で資料を持ち帰ります。
数時間後、G係長が持ってきてくれた資料は、私の想像を遥かに上回る出来映えでした。
G係長は、民間でお仕事をされ、かなりの実績を上げていました。しかし、教職への想いが忘れられず、途中退職され、教職の道を進まれました。学校でも、彼の行動力、判断力、教育愛は、すぐに万人から認められるところとなり、教育委員会で勤務するようになりました。
私は、G係長とのディスカッションも日常会話も大好きでした。仕事の話では、常に明るい未来を見据えて、積極的で、明るい話になるのです。民間で苦労され、実績を上げてきたG係長は、困難な壁にぶち当たっても、決して弱音など吐かないのです。
人は困難な壁に遭遇すると「できない理由を探す人」と「できるために必要なことを考える人」の2種類に別れます。私の経験上、できない理由を探し、もっともらしく言い訳する人は、困難な壁がなくても物事をやり切ることなど最初からできない場合がほとんどです。
その後、新型コロナウイルス感染症の流行、国のGIGAスクール構想などにより、私たちが共有していた「ムーンショット」は、飛躍的に加速し、当初の計画を上回るゴールへ進むこととなりました。
短期間の内に、大きな軌道修正が求められても、G係長の仕事が基盤となって完遂できたことは言うまでもありません。
学校でもいろいろな仕事を進める上で、その人に応じた「ムーンショット」があります。困難の壁の高さは、人によって各々異なります。
しかし、その壁を前にして、できない理由を探し、諦めようとする人と、壁を乗り越える方法を積極的に考え、立ち向かって行こうとする人の2種類の人に別れます。
G係長は「1を聞いて100を知る人」でした。それは、仕事に対する情熱と決して諦めないプロとしてのプライドに溢れていたからです。ですから、仕事以外のことで彼と話しをしていても心地よく、涼やかな風が吹くのです。
常に前向きで、一生懸命なG係長の姿から、私自身多くのことを学ばせていただきました。
ある日、G係長が「私の理想とするリーダーは、千葉先生です」と嬉しい言葉をプレゼントしてくれました。私もG係長のことを、役職を超えて尊敬しています。
ですから、彼の一言は、その後、私が仕事を進める上でも、生きていく上でも、大きな糧となっています。
困難な仕事を解決するための「ムーンショット」を通して、壁を乗り越えた者同士しか分からないG係長との涼やかな想い出は、私にとって、かけがえのない宝物となっています。