教師ー1 教員養成はキャリア教育から
◆教員を志す学生が激減していることが、近年深刻な社会問題となっています。
理由としては、教員はブラック職業であるという一部マスコミの報道が、大きいのではないかという説もあります。国も令和7年度の概算要求で、教員の処遇改善策を計上しています。今更ながら、という感は否めませんが、一筋の光とはなるでしょう。
また、折角採用された教員が、早々と離職してしまう、あるいは、病気休暇を取得しているという状況も相変わらず続いているようです。
私は、教員養成は、職業とは何か、という根本的なところから考えていくこと、つまりキャリア教育から見直す必要があると考えています。
ある大学の研究協議会に参加した時のことです。「学生の教員離れに歯止めをかけるには、どうしたらよいか?」という議論になりました。協議会のメンバーは、大学の教育学部の教授に加え、私を含めた現職の校長も数人参加していました。
メンバーの方々は、各々のお立場から「大学生には、教員のよいところ、恵まれているところをもっと伝えた方がよい」とか「教師という職業は、やり甲斐に溢れる素晴らしい職業であることを実体験から伝えた方がよい」など、教職の魅力を並べ立てて、学生の希望を教員に向けさせようというものばかりでした。
そこで、私は「バラ色のことばかり学生に伝えるのはいかがなものでしょうか?」と一石を投じました。
教師という職業には、子どもたちから感動をもらったり、保護者から信頼されたり、教師でないと味わえないような特別な経験ができることも事実です。しかし、そうなるためには、絶えることのない授業研究や時に厳しい保護者対応も経験しなくてはならないこともまた、事実なのです。
そもそも、教師という職業は、ライセンスに裏打ちされた職人芸です。職人には、素人を納得させることができるような「授業力」や保護者や同僚と良好なコミュニケーションを図れるような人間性に裏打ちされた「社会力」がなくてはなりません。そして、これらの力は、一朝一夕で身に付くほど甘いものではないのです。
これは教員の世界だけではありません。どの職業にも「快」の部分があれば、「苦」の部分もあるのです。光があれば、闇があるのは自然の摂理ではないでしょうか。
プロ野球選手が、働き方改革だからと言って、一日30回しか素振りせず、帰宅していたら、果たして観衆を納得させるパフォーマンスができるでしょうか?
素人では到底できないような血の滲むような努力を重ねて、初めて、レギュラーを勝ち取り、勝利に貢献できるようなプレーができるのではないでしょうか。
華やかなプレーやさよならホームランの満足感を話すだけでなく、人に見えないところで、どれだけ苦労していたかを知らなくては、プロ野球選手を志すことはできません。
教師だって同じことです。
お金をいただくプロになるためには、それなりの苦しさにも耐えること、それは当然のことなのです。
ですから、教員を志さそうとする学生にも、このことをしっかりと伝えていく。そして、そもそも職業とは、という原理原則をしっかりと理解させることが何よりも必要だと考えています。
職業観を磨くキャリア教育です。
その上で、教員を志してほしいものです。
それとも、苦しいことを伝えていくと、益々、学生の心は教職から離れていってしまうのでしょうか?
もし、そうであれば、教職とはその程度のものだと腹をくくるしかないでしょう。甘いことを言って、教員の世界へ誘ったところで、それなりの苦しみに耐える力がなければ、子どもたちを満足させるような授業や保護者を納得させるような話など到底、望むことはできないでしょうから。
それでも、苦しみや困難を承知で、子どもたちが好きだ、教育することが好きだ、教師を天職だと信じている、そんな思いを持っている学生は必ずいるはずです。
教師という職業は、他の職業にはない数多くの魅力が溢れているのも事実なのですから・・・。