働き方改革と仕事の本質 「教育は愛」No.88

教師

職場ー16 働き方改革と仕事の本質を混同しないことです

◆令和の時代になってから「働き方改革」は大流行と言ってもよいでしょう。

 私が勤務している職場でも、「働き改革をどのように進めていくか」ということが大きく取り上げられ、市ではフォーラムまでやって議論されています。

 しかし、働き方改革について、多くの同業者の意見を聞いていると違和感を感じてしまうことがあります。

 そして、仕事と働き方改革を、今一度根本から見つめ直す必要があるように思います。

 学校には多忙感が充満していると言います。その主な原因のひとつに「テストの採点と成績処理」と答える教員が多かったのには驚きました。教師の仕事は、子どもたちに知識や技能、考え方、協調する力等々、様々な「生きる力」を身に付けさせるために、日々の授業を中心とした教育活動を行うことです。

 そして、教育した内容の定着具合を測り、さらなる教育計画を修正していくのが評価活動です。

 これらに対して多忙感を持つ原因にあげるのは、いかがなものでしょうか。

 確かに、成績処理に時間がかかるので、PCを活用して効率的に処理するようにしたい、という前向きな意見の布石と捉えることもできます。

 しかし、そのまま聞くと「教師は成績処理するのがそんなに大変だと思っているのですか?」と子どもたちや保護者の皆さんさんから質問されてしまいまそうです。

 私が「違和感がある」と言ったのは、こういう部分なのです。

 教師の仕事は授業だけではありません。成績処理、教室の掲示物等の環境整備、保護者との面談、同僚との会議や研修、これらも全て仕事なのです。子どもたちのためなのです。

 そもそも教師という職業は、ライセンスを所有している者が専門職として営むひとつの職人芸であり、クラフトマンシップが必要とされるものです。

 この点は、医師免許を持ってその技を絶えず磨いている医師と大変似ていると思います。

 教科書を使って、同じ授業を毎年繰り返しているだけでは、子どもたちのニーズに応えきる授業は展開できません。指導方法の研修や教材研究が必要になってきます。

 このような職業の特殊性を理解しないまま、教師はやることが多すぎて多忙だ、ブラックだ、と容易に口にするべきではないと思います。

 教師は、もっと建設的に自分の行っていることを精査して、スクラップしたり、ICTを活用したりして、時間を生み出す努力をしてみるとよいのではないでしょうか。

 誰かが、仕事量を減少させてくれる、それが働き方改革だと決めつけていては前に進まないと思います。

 世界中の人たち全てに平等に与えられているのは「時間」」です。誰もが皆1日24時間を持っています。この時間をどのように活用するかは、個人に任されています。

 自分がしている仕事を一度、棚卸しして、再整理してみる。行い方も新しい方法を取り入れてみる、そうやって一人ひとりが自身の働き方改革にチャレンジした時、職場全体の働き方を改革するヒントが得られるような気がしてなりません。

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