歪んだ自己愛 「教育は愛」No.89

人間学

人間学ー1 歪んだ自己愛に支配された人

◆人に対して必要以上に横柄な態度をとる人、リーダーになった途端にパワハラぶりが噂になる人が昭和の時代から平成、令和の時代になっても必ずいるものです。

 噂の中では「また、あの人が」と話しが盛り上がり「あの人はああいう人だから仕方ない」と結論づけて、その場は終わります。いつも噂にのぼる人には一体どのような背景があるのでしょうか。

 「仕方ない」で片付けながらも、噂の主たちを冷静に観察してみると、その背景が透けて見えることがあります。

 横柄な人やパワハラを繰り返し行う人には、「自分が一番正しい」という驕りが感じられます。反論を絶対に認めないという強い意志も感じます。その背景には、強烈なコンプレックスがあるのではないでしょうか。

 ある大先輩は、そのコンプレックスのことを「歪んだ自己愛」と表現されていました。

 これは実に的を射た表現です。そう、パワハラを行う人には、過去に強烈なコンプレックスを抱くような経験があり、それを払拭するために自分が一番である、という歪んだ自己愛が心の中に充満しているのではないでしょうか。

 私も、少年時代、母子家庭、貧乏というコンプレックスを払拭するまでには随分と時間を要しました。そして、常に「負けてたまるか」という思いが体に染みついていました。

 ですから、その思いが他人への攻撃に転化することもありました。私の場合、小学生時代は、その攻撃が、友達関係に支障をきたしたものです。

 しかし、成長とともに、コンプレックスを払拭できるようになると、攻撃ではなく自省するように変化していきました。

 払拭できない人、歪んだ自己愛に支配されたままの人は、リーダーになると他人を執拗に責めてしまうのではないでしょうか。

 人と比べられて屈辱感を受けた、人から蔑まされた、人から認められなかった等々の背景が歪んだ自己愛を醸成していくのです。自分で自分をリスペクトしなくては、自分の精神状態が保てないのかも知れません。

 ですから、歪んだ自己愛に支配されている人をその呪縛から解き放つには、人から認められることが特効薬でしょう。能力を磨き、周囲から認められるような一事を持てるようになって初めて、人を平らな心で見ることができるのかも知れません。

 とは言え、これは、その人の心の置き処の問題ですから、本人がそのような心持ちにならない限り、他人がとやかく言っても仕方のないことでしょう。

 何はともあれ、パワハラはよくないことです。

 このような人と職場で出会ってしまった場合にはどうすればよいのでしょうか。

 「君子危うきに近づかず」

 接点を極力少なくなるように、自分の行動を制限することでしょう。まともにぶつかってしまうと、この手の人は執拗に攻撃を繰り返します。根が暗いのですから。

 そして、何より大切なことは、自分は年下や立場の弱い人に対して歪んだ自己愛を植え付けないよう心がけることです。常に平らかな心で人と接することが肝要です。

 人は、人から認められて初めて、自分のことを素直に愛することができるのです。

 そして、自信を持てるのですから。

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