孤高を楽しむ  「教育は愛」No.92

人生訓

人生訓ー1 ベテランは孤高を楽しみましょう!

◆コロナ禍は、学校という社会からも懇親会を奪い、コミュニケーションの機会も激減しました。そのような変化の中で、ベテラン教師は孤独を感じている、ということを幾つか耳にしました。

 しかし、コロナ禍が無くても、ベテランになれば、ある程度の孤独を感じることは当然ではないでしょうか。これは、学校だけではありません。今まで、気軽に相談し合えた仲間も、管理職や主任となり、各々のライフステージで奮闘しています。

 自分の後輩からは、気軽に相談される立場でなくなる場合もあるでしょう。

 だからと言って、必要以上に孤独を感じる必要もないと思うのですが・・・。

 私も、管理職の道を選んだので、その時々に孤独を感じることは多々ありました。

 特に校長や部長になった時は、誰に相談することもなく、一人で悶々と考え抜いたこともあります。 

 しかし、それを辛いと感じたことはありませんでした。格好良く言えば、孤高を楽しむ、といった心境でしょうか。

 他人に相談できない代わりに、自分だけで判断できることも増えました。ある意味、気ままと見えるかも知れません。しかし、傍から見ると気ままでも、本人は結構切実なものを覚悟していました。

 責任は自ら取ることを覚悟していたので、今日、この職を辞することになるかも知れない、その時は潔く、という覚悟だけは常にしていました。このようなことは、誰にも話していませんから、「そこまで考えていたのですか?」と言われてしまうかも知れません。

 2番手とトップの差はここにあるのです。

 さて、教諭の立場で考えると、学校内でもその人の一言が大きく作用するようになりますから、20代、30代の者が言うこととは質が異なってくるでしょう。また、友達感覚で話しをすることを遠慮されるのは礼節ある故です。

 いい意味での距離感だと思うのですが、中には、これを寂しいと感じる人もいるようです。

 時々、管理職になってからも、若い人たちに話を合わせるようにして、友達感覚に近い感情のやり取りを試みる人もいます。それは、その人の人生観、仕事観によるものですから是非は問いません。

 しかし、その道でキャリアを重ねて、ベテランになるということは、組織の中でも孤独に近づくのが自然ではないでしょうか。それなのに、教師の中には、必要以上に悩んでしまう者が多いと感じているのは私だけでしょうか?

 他の社会では、キャリアに伴って、職位が目に見えて、給料に反映しながら明らかにされています。ところが学校には、校長がいて、教頭がいて、管理職と呼ばれます。学年主任や各主任は、管理職ではないのです。連絡調整役です。ですから、学校の組織は、よく鍋蓋組織と呼ばれるのです。校長が居て、あとはみな同じ、同等、という構図です。

 同等なのに、ベテランになったら、若い人達が自分のことを助けてくれない、相談に乗ってくれない、どうして、自分だけが苦労しなくてはならないんだ、「世の中で自分が一番大変だ症候群」に陥ってしまい、やがてうつ病を発症してしまうことさえあります。

 歳を重ねれば、どのような職場でも、遅かれ早かれ、孤独に近づくのは、自然の理だと割り切ることです。

 そして、孤独を感じるようになったら、孤高を楽しむ年齢になったのか、と喜ぶくらいのポジティブさを持って生きていきたいものです。

 人間は、生まれて来たからには、いつかは独りで天に帰るのです。

 そう考えれば、そもそも、人間は独りなのですから・・・・

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