管理職ー13 「泰然自若」
◆私は毎年、元旦に書き初めをします。
令和7年の元旦の書き初めは「泰然自若」としました。
この言葉は、昨年末に「忠臣蔵」を何本か視聴するうちに、大石内蔵助の心情を察しているうちに自分の中で、リーダーとして大切な考え方を考えているうちに浮かんできた言葉です。
振り返ってみれば、令和6年度は仕事の面でも思うようにならないことが多々あり、私としては、珍しく悩んだ1年でした。
そして、昭和に学び、生きてきた自分の考え方が、古すぎるのではないか?と悩んでしまう場面もありました。世代間の考え方の違いに幾度も直面したものです。
しかし、時代は令和に変っても、変らぬものもあるはずです。それは、人としての生き方、考え方です。
どのような時代になっても、人に対する思いやり、真心、信じる心、私が信条としている「愛」は、不易のものだと思います。
働き方改革で、合理化が進む中、古い考え方を排除して、少しでも楽をするのが美徳と考える教師も少なくありません。
自分が今まで大切にしてきた考え方を、したり顔をして理屈を述べながら否定されたこともあります。それが、信じていた仲間だからこそ、私の落胆は大きいものでした。
一時期は、真剣に自分の進退を考えたものです。
そして、「信じられぬと嘆くよりは、人を信じて傷つく方がいい」という歌の一節を、校長室で独り繰り返したものです。
「忠臣蔵」の中で、松の廊下の刃傷の後、赤穂城での評定場面があります。大石内蔵助は、じっと家臣たちの評定を数日間聞いています。最終責任のない家臣たちは口々に好き勝手なことを熱弁しています。したり顔です。それをじっと見守り、最後に自分の考えを述べる大石内蔵助、その姿、言葉に、学校の最終責任を取る校長の姿が重なりました。
以後、討ち入りを果たすまでの大石内蔵助の苦心惨憺を見るにつけ、自分の浅はかさを恥じました。そこで、自分に必要な態度として浮かび上がってきたのが「泰然自若」でした。
私にできること、大切にしなければならないこと、それは「愛」を持って、子どもたちを教育する学校をつくることです。
「愛」のある教育を真摯に行う学校、そこで汗水流す教師は、必ずや子どもたち、保護者、地域の方々から「聖職者」と呼ばれる存在に近づけるものと考えています。
「教育は愛」をさらに推進するため、令和7年は「泰然自若」をモットーに笑顔で日々を重ねたいと強く考えています。