お互い様ですから 「教育は愛」No.217

家庭教育

家庭教育ー18 お互い様の精神

◆「お互い様ですから。気になさらないでください」このような応対をしてくださる保護者の方に出会うとホッとします。昨今、「お互い様ですから」の精神が著しく失われてきたのを感じているからです。

 私が教頭時代、平成の中ほどのことでした。PTA役員の皆様と打ち合わせをしている時、ある保護者の方がこうおっしゃったのです。

 「担任の先生方は、気を遣いすぎではないでしょうか。子ども同士の喧嘩まで保護者に丁寧にお電話してくださいます。子どもは喧嘩しながら成長するものです。加害者も被害者もないのです。ですから保護者間で謝罪云々を言うのはおかしいのではないでしょうか。お互い様なのですから」

 「お互い様ですから」、久しぶりに聞いたように感じました。

 昭和の時代は、学校生活でも、学校外でも、子ども同士の喧嘩に大人が出る幕はありませんでした。大抵の場合は、子ども同士で「ごめんなさい」をして解決したものです。

 そして、喧嘩する度に仲直りの仕方を学び、さらに友情を深めたのです。

 ところが、平成の中ほどからでしょうか。学校で子ども同士が喧嘩した時に、被害、加害にこだわり、保護者が登場するようになったのです。

 子ども同士の謝罪だけでは済まなくなり、喧嘩相手の保護者が、謝罪の連絡をしてこない、と担任に苦情を寄せるようになってしまったのです。

 このような状況で、担任は疲弊し、中にはそのまま精神を病んで、リタイアしてしまう者まで出てきました。

 こうした中、冒頭の保護者の言葉に救われた思いがしたのです。

 いじめは別です。しっかりと大人が止めなければなりません。

 私がここで取り上げているのは、日常の中で見られる些細な喧嘩のことです。

 喧嘩には、被害も加害もないのです。時が変れば、逆転することも多々あるのです。子どもは、喧嘩と仲直りを繰り返しながら成長しているのですから。

 少子化が進み、我が子可愛さのあまり、我が子の言うことを100%信じ込み、喧嘩相手を執拗に責める風潮が広がりを見せています。

 我が子もその友だちも、大人が大団円を組んで育てていく、そんな意識を持てば、自ずと「お互い様ですから」の精神が醸成されるのではないでしょうか。

 そして、「お互い様ですから」の寛容な空気の中で、子どもたちは、思う存分、学べるのです。勉強だけではなく、人間関係さえも。

 「寛容性」

 昭和の頃には、巷に溢れていたように感じているのは、私だけでしょうか?

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