チームとして 「教育は愛」No.269

職場

職場ー30 チームとして

◆私は、大学を卒業してから学校、教育委員会事務局という組織で仕事をしてきました。ですから、個人業種のことは分かりません。組織で仕事をしていると働く際に、職員一人ひとりが何を意識しているのかによって、仕事の成果が異なる場合があるのではないか、と考えるようになってきました。

 昔、一緒に仕事をしていた先輩の口癖は「何かあったら、俺が責任を取る」というものでした。まだ、二十数年しか人生経験のなかった私は、この先輩のことを格好いいと思っていました。その先輩は、学校として仕事をしているのではなく、自分の思いを優先させて仕事をしていたように思います。

 これは、学校の教師にはよく見られるタイプです。目の前の子どもたちしか見ていないので、ある種のお山の大将的な稚気が漂います。

 学校は、学校教育目標があり、校長の学校経営方針があり、学年主任の学年経営方針があって初めて、担任としてのビジョンがあるのです。目の前の子どもたちのためにどのように教育をつかさどるのか、それは担任に一任されますが、組織として仕事をする以上、学校としてのビジョンを理解し、尊重しなくてはなりません。

 校長といえども、学校経営方針を定める際には、教育委員会としてのビジョンを理解し、尊重した上で、塾考を重ねた上で提示しているのです。

 ところが、先ほどの先輩は、自分の思いだけを優先させようとしていたのです。そもそも「俺が責任をとる」と豪語したところで、どのように責任を取れるのでしょうか?自分が職を辞したくらいで、責任をとると考えているのなら、甚だ浅はかとしか言いようがありません。

 これは、キャリアを重ねていかないと分からない事かも知れませんが、簡単に一職員が口にするものではありません。

 さて、あるベテラン学年主任が「6年生の使命は、校長先生が示す学校経営方針を具現化させることだと考えています」と力強く宣言してくれたことがあります。思っていても、この先生のようにハッキリと明言してくれる者にはなかなかお目にかかれるものではありません。

 その先生の学年は、一本筋が通っていました。各担任教師も、自分だけの思いだけでなく、組織で動くことを常に考え、子どもたちに情熱を注いでいました。子どもたちへの愛情や情熱の熱量も高く、子どもたちも担任や学年、そして、学校の先生方のことを心から尊敬する姿勢を示してくれました。

 私たち教師の仕事は、すべて子どもたちの姿勢に表れます。教師が何を柱にして教育しているかによって、子どもたちの考え方にまで影響を及ぼすことをもっと自覚するべきだと考えています。

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