教師ー17 ファシリテーターとしての教師
◆先日、6年生のある教師の社会科の授業を参観しました。そこには、「令和の教師はファシリテーターとしての役割が必要」と言われる教師の姿が具現化されていました。
6年生は、教科担任制です。社会科を担当している教師は、学年の社会科を指導しています。その教師がある単元の授業を展開する前に、子どもたちに授業についてアンケート等により聞いたそうです。
それによると社会科の授業は、教師の一方的な説明があって、それを覚えるというもので楽しく学べるものではない、という意見が大半だったそうです。
確かに、社会科というだけで、地名や年号、歴史上の人物などを覚えるのに躍起になっていた印象が私にもあります。それでも、覚えることが好きな子どもたちが社会科ではいわゆるできる子どもと言われたのではないでしょうか。
私も歴史は大好きでした。しかし、その事象を丸暗記していただけで、「なぜ?どうして?」などの思考部分は欠落していたかも知れません。
さて、社会科担当の教師は、子どもたちの意見を受けて、子どもたちが単元の関心のある部分を調べ、グループの中で発表し合うという学習形態をとりました。教師は子どもたちの学びをファシリテートする役目に徹していました。
授業の様子は、子どもたちが大変生き生きと、積極的に学習に取り組んでいました。自主性とは、この子どもたちの姿を指すと思いました。
令和の時代、ICTがこれだけ教室に入り込んでいると、知識というのは最早教師の専売特許ではありません。教師の持っている知識など、ICTを活用すれば、すぐに自分で調べられるのです。こうした状況を踏まえて、教師には新たな能力を加えたファシリテーターとしての役割が求められたのではないでしょうか。
今回の授業を参観して、そのような思いを強くしました。