学校教育ー46 受験勉強
◆この時期、小・中・高校生が、自分の志望校目指して、受験にチャレンジしています。受験は、本人にも、家族にもプレッシャーがかかるものです。
受験の教育的意義とは何でしょうか。
私自身は、高校受験が人生初の受験でした。確かに、相当なストレスもかかりましたし、悩みもしました。実力テストの結果から、学校の先生との面談で、第1志望校の合格率は、30%、第2志望校の合格率は70%と示されました。
悩んだ挙げ句、私は第2志望校を受験することに決めました。
結果は、合格しました。第1志望校を受験しなかったことへの後悔は微塵もありませんでした。
さて、受験する時には、少なからず、自分の将来を考えます。その将来をより、自分の考えている姿に近づけるためには、どの学校を選択するか、自分の人生を真剣に考えるひとつの機会となります。
受験とは、自分の人生づくりの一環と考えられるのではないでしょうか。
自分が将来、希望する生活に近づけるために、志望校へ入るのです。志望校へ入ることが目的ではありません。将来の生活を実現させるためです。そのために、受験勉強に取り組みます。
結果、自分の志望していた幾つかの学校への合格切符を手にすることは、人生の節づくりとなります。
合格するために努力し、その成果が実る、そして、そのことは生きる自信につながっていくのです。
このように、受験には、自分の人生を拓くという大事な意義があり、実践的なキャリア教育と考えられるのではないでしょうか。
ただし、子ども自身が自分の人生を考えた結果の受験でなくてはなりません。親に言われたから受験する、塾の先生から薦められたから受験する、有名な学校だから受験する、というような本人の意志と将来からかけ離れた動機では、キャリア教育にはなりません。
小学校では、本人の意志でなく、親の意志が強く働いて中学受験に取り組む姿が散見されます。だから、受験勉強をしていてもプレッシャーが先行するのです。
子ども自身が、自分の将来を拓くための受験勉強であれば、モチベーションが自ずと違ってくるのだと思うのですが、いかがでしょうか?
私は、高校受験、大学受験に取り組んだ時、自分が将来教師になるためのプロセスだから、と考えて主体的に取り組んでいました。
決して、受験のための受験勉強ではありませんでした。