学校教育ー95 地域の期待に応える
◆私が、現任校に着任した時、コロナ禍で4年間縮小されていた運動会を復活させました。それまでは、学年の発表会だけを行っていたようです。さて、運動会を開催し、子どもたちの全力の競技、演技は多くの人たちの胸に感動を残すこととなりました。その中でも地域の皆さんの喜びようは大変なものでした。
この時、しみじみと思ったことがあります。
それは、「学校行事は学校だけのものではない」ということです。
時々、見聞きして疑問に思うことがあります。運動会、音楽会、入学式・卒業式等の学校の主要な行事を働き方改革の名の下に、バッサリと縮小している学校があります。
特に運動会については、憂いが募ります。まず、秋の学校行事が集中するのを拡散するために計画された春の運動会。しかも、春の運動会のメリットに「練習をしなくてもよいこと」をあげている学校があると聞き、愕然としました。運動会は、日々体育授業の延長で、学年の発表会にする、という考え方のようです。最早この学校の運動会は、子どもたちの練習・学習成果を発表する場ではなくなっているのです。
また、働き方改革の観点から会場準備の縮減を思い切って行っている学校もあります。万国旗をなくす、入退場門をなくす、準備や後片付けの手間を省けるということがその理由だそうです。
応援団による応援合戦は真っ先にカットされています。そもそも紅白対抗、3色対抗の形をとっていないのです。運動会で組事に競い合う姿など、はじめから求めていないのです。
さて、これらの縮小・縮減は、いずれも教職員の理由によるものです。子どもたちの意見や保護者の意見は反映されていません。ましてや地域の皆様のご意見は蚊帳の外と言っても過言ではありません。
ここで、原点に戻ることが必要だと思います。学校とは誰のものなのか?という原点です。
学校は、地域のものです。地域の皆様の愛や期待が込められているということをもっと、教職員は意識する必要があると思います。保護者を含めた地域の皆様から教育について信託を受けているのが学校なのです。ですから、教育の成果を運動会や音楽会で発表することは大切な説明責任だと考えます。
運動会では、子どもたちが今までの練習・学習の成果を存分に発揮して、競い合う姿、応援団や上級生のリーダーシップと自主的な活動をしている姿、1年生は入学から約半年間で、立派な小学生に成長している姿などを発表する大切な場なのです。
そして、校長として忘れてはならないことは、教職員の尽力とチームワークの姿についてもご覧いただく大切な場でもあるということです。
保護者・地域の皆様から信託を受けている学校で働いている教職員は、どのように地域の宝である子どもたちのことを教育しているのか、その様子を運動会や他の学校行事で全校の様子を俯瞰してご覧いただくのです。
授業参観では、学級の様子と担任の姿しか伝えられません。しかし、全校で行う行事、運動会や音楽会などでは、学校全体の姿をお伝えすることができる絶好の機会なのです。
確かに働き方改革の視点から効率的な学校行事の運営を考えることは大切です。しかし、“地域の学校で働かせていただいている”という意識に立ち返れば、教職員の負担を減らすという観点のみで縮小・縮減した学校行事などできないはずです。
なかには、「地域のために教育をしているのではありません。子どもたちのために教育をしているのです」という声をあげる教職員もいるかも知れません。しかし、それは考え方が狭過ぎます。地域の宝物である子どもたちを教育していくことが地域の学校に課せられた使命なのです。私たちが教育している子どもたちは、地域の未来そのものなのですから。
4年ぶりに開催した運動会は、子どもたちも感動と達成感を味わうことができました。そして、保護者・地域の皆様から沢山の賛辞を頂戴しました。子どもたちの立派な姿、教職員のチームワークと苦労に対して・・・。