体育授業ー39 子どもの主導性がある体育授業
◆子どもが泣いて喜ぶ体育授業、その4です。教師の主導的な授業は、知識やスキルを紹介する場合には有効かも知れません。最も、一人一台のタブレットPCを活用している今の教育では、教師がもっている知識やスキルの量が絶対ではなくなっています。子どもが達成感や喜びを感じる授業には、子どもが自ら考え、自ら選択する場面が欠かせません。
単元の導入では、子どもたちに学び方を身に付けさせるために、教師の指導や説明が多くなります。学習カードの使い方、場のつくりかた、チームでの話し合いの仕方などです。
しかし、単元が進むに連れて、教師が全体に説明する機会が減少し、子どもたちが主導的に学習できるようになることが理想です。導入時に行った教師の授業におけるマネジメント(集合、説明、指示など)が、子どもたちの中で消化され、自分たちで45分間の授業を進められるようになるのです。
私が高学年の授業でマネジメントに骨を折ったのは、“時間の使い方”でした。学習カードや練習の仕方などは、子どもたちは主導的に行えるように変容していきます。最後の難関が時間の使い方だったのです。
教師は45分間の時間的な感覚を体で覚えています。ですから、子どもたちの学習活動も適宜、時間で区切ってマネジメントしていきます。しかし、子どもたちは、自分たちで練習は10分間、10時5分までとグループで話し合い決めていても、夢中になってしまうと時間通りに次の活動に移ることができません。
私は、このことを当然のこと、と自分の中で割り切ることにしました。子どもたちが主導的に学習を進める上での成長過程だと考えたのです。ですから、1つの単元だけで子どもたちが時間をマネジメントできるようになるという目標は立てず、失敗を重ねながら、幾つかの単元を学習しているうちに身に付けていくもの、1年間の半分を過ぎた辺りに、できるようになる子どもたちが増えていくもの、と考えるようにしたのです。
子どもたちが主導的な学習をできるようになるためには、失敗の経験を沢山させることも必要だと考えています。教師は、子どもたちが失敗しないように、転ばぬ先の杖を何本も用意し過ぎて、子どもたちの真の学習を骨抜きにしてしまっている傾向が見受けられると感じているのは私だけでしょうか。
子どもたちに失敗の中から身に付けさせること、これも「愛」だと考えています。