学校教育-1 「できる・できない」の見方、考え方
◆教師は子どもたちの学習成果を見て、「できる・できない」と表現することがあります。
私は、できること、できないことの意味は、もっと深いところにあるのではないかと考えています。
そのこと気付かせてくれたのは、特別支援学校で生活を共にした子どもたちでした。
私は、特別支援教育にこそ、教育の原点があると思っています。
私は県内の特別支援学校(当時は、「養護学校」と呼ばれていました)に初任者教員として着任しました。大学で特別支援教育を学んでいたこともあり、多少は特別支援学校のことを理解していたつもりでしたが、目の当たりにした実態は想像を超えるものでした。
私は小学部(小学生の部)の担任になりました。は担任は私を含め3人います。児童は6人、1人の担任が2人ずつ担当します。私の担当はA君とB君、2人とも言葉はありません。意思の疎通は、表情とスキンシップです。
9時20分、学校の駐車場にスクールバスが到着します。
私はA君とB君を迎えに行き、2人の靴を上履きに履き替えさせて教室へ入ります。
荷物の整理、体育着への着替えを補助します。A君は、定時排泄が学習内容のひとつになっているので、オムツを外し、トイレへ行き、おマルに座らせます。
A君の様子を見ながら、適当な時間で切り上げるのですが、大体の場合、「もう、出ないかな?」と立ち上がって教室へ戻ろうとすると排泄してしまいます。
B君は視覚も不自由で手探りをしながらの移動でした。そして、自分の思い通りにならないと自傷行為をして、意志を伝えようとします。私は、B君の考えていることを理解するために、毎日注意深く、観察し、寄り添いました。
2人への教育内容は、日常生活の指導や「養護・訓練」という基本的な体の動かし方が大半を占めました。教科書は選定し、用意はしてあるのですが、なかなか使用する機械がありませんでした。
当時、人気を博し、私が大好きだった熱血先生のドラマ「3年B組 金八先生」や「熱中時代」の主人公とは、異なる学校環境に身を置いていました。
授業のイメージが全く異なっていたのです。
「私は一体何をしているのだろう?」「自分がしていることは、教育なのだろうか? 介護なのだろうか?」・・・ 一人になると言葉に出して何度となく自問自答を繰り返していたのを覚えています。
しかし、子どもたちは純粋で、可愛く、一緒に生活しているうちに、愛しさが増していきました。
週に1回、学年全体(約30人くらい)で校外を散歩する授業がありました。当時、私が勤務していた特別支援学校は、周囲に田園が広がるのどかな場所にありました。
田んぼ道をゆっくりと2名の子どもと手をつなぎ、公園まで歩きます。公園では草花に触れたり、自由に走り回ったりする時間が豊富で、子どもたちも笑顔を見せてくれます。
私は、この時間が大好きで、子どもたちとの間には、言葉も文字も介在しないのですが、彼らの笑顔に、いつも心が洗われる思いがしたものです。
散歩学習から帰ってから食べた給食は、とても美味しく、子どもたちの食欲もいつもより旺盛だったように記憶しています。
私の学級に在籍していた他の4人にも言葉や文字はありませんでした。言葉を交わすのは、担任教師3人のみです。それでも、日を追うごとに、表情や行動から自然と意思疎通が図れるようになっていきました。やはり、大切なのは「心」なのでしょうか。
私は、初めて担任させていただいた子どもたちから、「できるとはどういうことなのか」「できないとはどういうことなのか」を幾つもの日常の経験から学ばせていただきました。
今でも冬の朝、寒いトイレでA君がおマルの中で金色に光るオシッコをしてくれた時の感動は鮮やかに胸に蘇ってきます。あの時の定時排泄の成功が、私の教師として初めて経験した子どもの「できた」なのです。
特別支援学校の子どもたちから教わったことは、深く胸に刻まれ、その後の教師生活に大切な教訓として生き続けています。
そう、今でもその教訓一つひとつが私の体の中で脈打っているのを感じることができます。