学校教育ー2 特別支援教育は教育&教師の原点
◆社会生活への自立を目指して、教師と保護者が心を合わせて懸命に教育する姿を目の当たりにした時、改めて教育の尊さ、教育の持つ意義を胸に刻むことが出来ました。
特別支援学校での教育は、私にとって教育の原点であり、教師の原点です。
特別支援学校で勤務して4年目は、1年目の学級とは異なり、言葉によるコミュニケーションができる子どもたちを担任させていただきました。
子どもたちは、歌や運動、時には文字や数字についても学習します。
国語、算数、音楽、体育といった教科指導ができたのです。私がイメージしていた黒板を使っての授業が成立する学級でした。担任は、私と女性の先生の2人です。音楽の伴奏や給食指導などは、主に女性の先生が担当してくださいました。
子どもたちの能力の個人差は大きく、2人の担任がフル回転して、丁寧に個別指導をしなくてはならない状況でした。私は、この学級の子どもたちの学習する姿から、人が物事を覚え、習熟していく過程を毎日の実践を通して、大変具体的に学ばせていただいた思いです。
子どもたちの発達年齢は、約3~5歳程度だったと思います。友達との関係でも、自分の思いを通そうとする姿勢が、とてもシンプルでわかりやすいものが多かったように記憶しています。
喧嘩、仲直り、泣き笑いなど、理由が全て明確だったのです。よく世間で言われるような陰湿ないじめの類は彼らには無縁のものでした。
それだけに、彼らの優しさは格別で、人としてのあたたかさを私達教師にも惜しみなく分け与えてくれました。
私は、この子どもたちの純粋な心に打たれ、保護者の皆さんと土曜日の午後に(当時は、土曜日は半日の授業がありました)勉強会を開き、子どもたちの将来の社会自立に向けて何が必要なのか、ディスカッションをしたり、教具を一緒に作成したりしました。
糸鋸を使って、子どもたちと保護者の方と一緒に作った時計のパズル板は、その後の授業や家庭学習でも活用することができました。
「教育は手作り」を実感した思い出です。
また、この年は週に1回程度の学級だよりを発行していたのですが、保護者の方のあたたかい反響と励ましのお言葉を沢山頂戴しました。
これらの経験を通して、保護者の方は、学校でのわが子の様子にとても関心があることを改めて知ることとなりました。
「そんなことは当たり前のことだ」と思われるかも知れませんが、当時、独身で大学出たての私には、掛値なく新しい発見だったのです。
この経験は、後の学級経営にも大きな力となって表れることとなります。
教職に就いて4年目、こうして保護者の皆さんと一緒に子どもたちの将来を考え、試行錯誤しながら教育に打ち込んだことは、教科書を活用した授業を展開する通常学校では、経験できなかったかも知れません。
保護者の願いも、教師の願いも、子どもたちの社会生活への自立と豊かな人生を送ることに他なりません。
一流大学に入るとか、一流企業に就職するというような願いは、あくまでもそのための手段であり、二次的なものではないでしょうか。
子どもたちが、独り立ちして、親が居なくなった後でも生き抜く術を身に付けさせること。それこそが、教育の本義ではないでしょうか。
私は、特別支援学校というあたたかい環境の中で、子どもたちや保護者の皆さんと心を通わせながら、そのことを強く感じました。
結局、私は特別支援学校で、3年生から6年生まで同じ学年を持ち上がり、この子達の小学部卒業と同時に、通常の小学校へ異動することとなりました。
卒業式後に、保護者と合同で学年のお別れ会が開かれ、その挨拶の中で「この子どもたちの、これからの人生を明るいものにするためには・・・」と切り出したところで涙が溢れ、言葉になりませんでした。子どもたちや保護者の皆さんの前で、子どものように泣くじゃくってしまったのは、後にも先にもこの時だけです。
あの感情、心の揺れは、人生で初めての経験でした。
4年間の子どもたちとの思い出、一つひとつがこみ上げてきて、子どもたちや保護者の皆様に、伝えようのない程の感謝の気持ちが胸に溢れました。
特別支援教育には、教育の原点、教師の原点があります。
これは教師としての私の生涯変わることない持論です。