広場で遊ぶ子どもたち 「教育は愛」No.9

学校教育

学校教育-4 広場で遊ぶ子どもたちを目指して

◆今、子どもたちは放課後も忙しい毎日です。習い事や塾に奔走しています。子どもたちは、学校の授業や塾などの習い事よりも、遊びの中から生きていく上で大切なことを学びます。遊びは、子どもたちにとって、正に社会の縮図なのです。かつて、昭和の時代、広場で遊ぶ子どもたちには、将来の社会的自立に向けて楽しくも真剣に学んでいた姿がありました。

 小学生時代の外遊びは、子どもたちにとって大人が考えているよりもずっと意味のある大切なものだと考えています。以前、体育の研究校で外遊びの重要性をテーマに研究したことがありました。

 当時、体育関係の先生方は「3間が失われた」と表現をしていました。子どもたちから遊ぶ空間、時間、仲間が失われてしまった。という意味です。うまい表現だと当時、感心したものです。

 そこで、かつて私が勤務していた体育の研究校では、計画的に外で遊ぶ時間を設定し、場所も運動場を区切り、異学年の子どもたちと遊べるようチーム分けして実践研究に取り組みました。その時のコンセプトが「広場で遊ぶ子どもたち」です。

 昭和50年代頃、子どもたちは放課後、自然と近所の公園や広場に集まり、学年を超えて一緒に遊んだものです。この姿を意図的・計画的に学校に出現させようと試みたのです。

 研究の結果、子どもたちの中には、この時間帯に遊んだ外遊びを他の休み時間にも行うようになりました。

 また、一緒に遊んだ仲間とは学年が違っても校内で気軽に挨拶することができるようになったのです。クラブ活動や委員会活動では、異学年の交流もありましたが、低学年と高学年が一緒に活動するような時間はありませんでした。

 しかし、学校を一歩出てしまうと塾や習い事で時間を追われ、近所の公園には「ボール遊び禁止」の貼り紙、友達同士で遊ぶ姿はごくわずか、といった状況に変わりはありませんでした。

 この研究をしていた平成の始め以来、令和になった今でも子どもたちに「3間」が失われている状況は変わりません。

 外遊びには、将来大人になる上で大切な生きる力の栄養が沢山含まれています。

 まず、体を動かすことにより健康な体になります。また、相撲遊びなどでは、人間の体のどこは叩いたらいけないのか、身をもって理解できるようになります。

 そして、みんなが納得できるような方法を見つけてチーム分けをしたり、ルールを作ったりできるようになります。色々な経験が子どもたちの将来に生きて働く力となるのです。

 中でも私が一番重要だと思うのは、遊びで負けた時の悔しさや友達との喧嘩やいざこざを経験することです。誰しも失敗や人間関係のトラブルには必ず遭遇します。その時に、どのように気分転換して、メンタルを向上させるのか、どのように謝ったらよいのか、他人と協調・協働するためにはどのような言葉を使い、態度をとればよいのか、これらのスキルは生きていく上では欠かせません。

 これらのスキルを身に付けていないばかりに、心の病を発症したり、引きこもりになったり、日常の生活を送れなくなってしまうこともあるのです。特に子どもの頃から失敗をした経験がない、大人から叱られた経験がない、いわゆる優等生だった人は、これらのスキルが未熟だと言われています。ですから、社会人になってから仕事で躓き、上司から叱責を受けると立ち直ることができずに長期の休みや退職を余儀なくされてしまう、といったケースが散見されます。

 子どもの頃から外遊びで、仲間と一緒にエキサイトし、思い切り体を動かし、泣いて、笑って、怒って、喧嘩して、仲直りする経験を積むことは大変意義のあることなのです。

 大切なのは、失敗しないことではなく失敗しても立ち直る力を心と体に蓄えることです。中学生以上になると、運動部でこれに似た経験をすることもできます。勝敗や優劣が明確になるスポーツには確かに「生きる力」をリアルに経験し、身に付ける機会が沢山あります。そして、スポーツを豊かに経験する上でも幼少時代の外遊びは重要です。

 そして、10歳頃に最も大きく伸びるとされている神経系の運動能力は、外遊びの豊かな経験に比例して研ぎ澄まされていきます。幼少期の外遊びの経験は大変貴重なのです。

 「3間」の回復はこれからも望めないでしょう。だからこそ、せめて小学生の遊びをゲームの画面上だけでなく、意識的に外で体を動かす遊びも取り入れたいものです。

 将来タフで、何があっても力強く生き抜く大人に成長してもらうために。

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