察することができる教師 「教育は愛」No.210

教師

教師-22 察することができる教師

◆キャリアや年齢、性別に関係なく、子どもたちへの接し方が絶妙な教師がいます。子どもの心を読み、子どもの感情を察して関わっているのです。そして、このような教師は、保護者や同僚に対しても同様の関わりができるのです。

 こうした教師と出逢う度に、その教師の人間力、人間性だ、と片付けてしまうことがあります。

 教師が受けている研修は、どこの学校でも大差ありません。教科研修、生徒指導研修、教育相談研修、学級経営に関する研修などです。

 しかし、子どもの心を読み、察する研修はあまり見かけません。

 子どもの心理を考える教育心理の研修はあります。ここで一応の理論は学ぶことができるでしょう。ところが、ここで学んだことがそのまま実践で使えるかというと、そうそう簡単にはいきません。

 なぜでしょう?

 私は、子どもの心を読み、察することができる教師の人生経験に起因するのではないか、と考えます。子どもの頃の苦労や学生時代の人間関係での苦労もあるでしょう。反対に、いろいろな人たちから愛された経験も影響するのではないでしょうか。

 そのような人生経験は、学校で学べることでも、書物から学べることでもありません。実際に経験して、積み重ねたものです。これらの経験全てが、教師になっても、人としての基盤に組み込まれているのです。

 その基盤が感性となり、教師になってから子どもたちと接し、保護者と接しているうちにさらに磨きがかかるのです。

 こうして察する力を磨いている教師にかかると、登校を渋っていた子どもも、友だちに意地悪をしていた子どもも、教室にいることが、いつしか心地よくなってしまうように変容するのだと思います。

 保護者からの評判も抜群です。

 電話1本を聞いていても、いつしか、その教師に惹き込まれてしまうような優しさが溢れているのです。こうなると、保護者もこの教師への信頼感を高め、ぜひ、来年度もこの教師に担任してもらいたい、と願うようになります。

 教師は、授業力を磨くだけでは一流にはなれません。子どもや保護者、同僚の心を察することができるような人間性を磨かなくてはなりません。

 人間性を高めるための教科書がある訳ではありません。自分自身で何らかの方法で人間性を磨き続けなくてはならないのです。

 こう考えると教師の世界も結構厳しいものだと思います。

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