尊敬・人生の基準・永遠の憧れ 長嶋茂雄さん  「教育は愛」No.194

人生の師

人生の師ー5 尊敬・人生の基準・永遠の憧れ 長嶋茂雄さん

◆長嶋茂雄さんのことを、神と呼び、師と仰ぐ人は星の数ほどいることでしょう。

 文化勲章を受章された長嶋茂雄さんは、最早、プロ野球の枠を超え、日本人の誇りであり、憧れの存在です。

 私もその一人であり、長嶋茂雄さんと出逢わなかったら、プロの教師として燃えることとは縁遠い人生を送っていたことでしょう。

 私の人生にとって、長嶋茂雄さんは、絶対的な存在であり、かけがえのない「人生の師」です。

 私は、人から影響を受けやすい人間です。

 特に子どもの頃は、自分の考えなど微塵もなく、友達の言動に大きく左右されて、その日暮らしをしていました。

 たまたま、片田舎の小学校に通っていたため、いわゆる不良と呼ばれるような子どもはいませんでした。せいぜい、ガキ大将程度です。

 もし、不良グループが幅を利かせているような学校に通っていたら、間違いなくその仲間になり、ろくでもないことを繰り返していたことでしょう。

 これは、青年期になっても同様です。県内でも進学校の部類に入る高校に進み、運動部に所属していたため、非行には走りませんでしたが、これとて、ひとつ間違えれば、どうなっていたことか・・・とにかく、芯がない人間だったのです。

 しかし、そんなふわふわした少年は、長嶋茂雄選手の引退試合、セレモニーで感動し、常に長嶋さんのことを敬愛して止みませんでした。

 私が最も尊敬し、影響を受け続けている方は、長嶋茂雄さんです。

 私が高校3年生の時、長嶋茂雄監督は、巨人軍を解任されました。その記者会見では、涙と怒りで震えました。

 そして、母に読売新聞の購読を止めるようお願いしました。

 私は、解任された長嶋茂雄さんの動向に今まで以上に注目するようになりました。

 長嶋さんは、監督を辞められてからも毎日のように雑誌やテレビに登場され、相変わらず明るく、快活にご活躍され、私の心に光を与え続けてくださいました。

 そして、いかなる逆境にあっても、決して弱音を吐いてはならない、自分の目指すものに向かってチャレンジし続けるという人生訓を胸に刻み付けたのです。

 やがて、背番号33を付け、巨人軍の監督として再登場された時には、私は学生ではなく、教職の世界にデビューしていました。

 長嶋監督の一挙手一投足に、感銘を受けながら、教育のプロとしての自覚を構築していったのです。

 もし、長嶋茂雄さんと同じ時代に生を受けていなかったら、プロとしての自覚など到底持てなかったのではないでしょうか。

 2000年(平成12年)、長嶋さんから毛筆でご揮毫された色紙を送っていただいてから、私の信念も深いところで広く根を張り出しました。

 以後、実際にお会いし、そのオーラに触れるようになってからは、長嶋さんに心からシビレてしまいました。

 もう、この頃になると私の行動全ては、長嶋茂雄さんを基準としていました。

 よく言われます。長嶋さんに話し方が似ていると、それはそうでしょう。大好きで憧れている人になりたいと思うのが人情です。意識しなくても、自然と「長嶋茂雄さんへの道」を歩んでいたのです。

 心の中に芯がなく、ふわふわ流されていた私が、長嶋茂雄さんという人生の師の絶対無二の生き方を自分の信念として根付かせて、仕事に、人生に、挑めるようになったのです。

 長嶋茂雄さんは、私が尊敬し、人生の基準としている永遠の憧れであり、人生の師です!      

 私は、「長嶋茂雄さんになりたい!」と今でも、いつまでも思っています。

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