授業研究をしなくなった? 「教育は愛」No.152

教師

教師ー3 授業研究をしなくなった?教師

◆かつて、授業研究は教師の生命ラインでした。必死になって先輩から授業を学び、自分でも積極的に研究授業に取り組んだものです。また、研究発表会や教育委員会指定の研究授業では、若いうちはなかなか、研究授業の授業者を任せていただけないものでした。

 それが、いつの間にか、授業研究に対する意識が職場から薄くなってしまっているのを感じることがあります。

 私がお世話になったさいたま市では、全ての市立学校で全ての教師が授業を公開する授業研究訪問がありました。公開する授業の中で、その後の授業研究協議会で対象となる研究授業は、学習指導案もコッテリしていて、他の公開授業とは質がまるで異なるものです。

 この研究授業の授業者は、学校によって決められます。私が、教諭だった頃は、教育委員会の先生が参観され、その後の研究協議会で指導講評いただくことは、ある意味大変光栄なことでした。自分の授業力が研究授業に耐え得るレベルまで到達した、と管理職や同僚から認められたという意識を持っていたからです。

 私の尊敬する大先輩は、研究授業の授業者について次のようなことをご指導くださいました。

 「教職経験の浅い教師の研究授業は、他の教師が自分の授業を自習にまでして参観する価値はない。大切な自分の授業を自習にして参観し、全員で研究協議を行うなら、協議するに値する授業者を選定するべきである」

 経験の浅い教師の研究授業は、その教師自身の勉強であり、参観して授業内容を協議する研究授業とは質の異なるものだというのです。

 私もその通りだと思います。

 ですから、研究授業の授業者となれた時には、指導方法を先生方に提案し、それを検証しながらより質の高い指導方法の在り方について、練り上げ、その結果を共有して各自の授業への参考とできるような授業を心がけなければならないと考えていました。

 ところが、最近は、研究授業は若手の登竜門とばかりに、ベテランではなく経験の浅い教師が研究授業を公開する傾向があります。

 協議する内容の乏しい授業を数多くの教師で参観し、協議したところで、どのような利益が得られるのでしょうか?

 また、最近の働き方改革から教師の在校時間ばかりが問題視され、肝心の授業研究が消化不良になっているような印象を受けます。

 子どもたちにとってよい授業を行うことは教師の本分です。子どもたちが満足する授業をして、初めて、子どもからの信頼や保護者の信頼を得られるのです。

 教師は、ライセンスを有する専門職です。専門職は、クラフトマン・シップにより成り立つものです。高い技能を有するためには、それなりの研究と努力が必要になるのは当然のことです。

 何も、学校に遅くまで残って教材研究をしろ、と言っているのではありません。教材研究は、どこに居ても、24時間、常に頭の中にあるのではないでしょうか。授業のこと、子どもたちのことを常に考え、授業研究に取り組む姿勢は、働き方改革が進んでも失ってはいけないことではないでしょうか。

 教師の世代も変わり、意識も変容してきています。しかし、授業研究の必要性と重要性は、教師である以上、変ることはない不易なものだと考えます。 

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