教師は人間力を磨け 「教育は愛」No.292

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教師ー40 教師は人間力を磨け

◆慈眼寺の塩沼亮潤住職のコラムに釘付けになりました。私も教育は行き着くところ教師であり、教師は人間力が問われる、という持論をもっています。塩沼住職も同様のことを書かれていたのです。

 塩沼住職が中学生時代、全校集会で怖い先生が静かにするよう指導しても全く静かにならない。ところが、一人の老教師が前に立っただけで静かになったというのです。

 塩沼住職は、学校の先生は、まず己の生き方を律して生徒から尊敬してもらえるような存在にならないといけないと説かれています。その努力を怠って、どうしたら子どもを真っ直ぐに育てられるか、指導のアプローチはどうしたらよいか、などと議論していても小手先の技術など子どもにすぐに見抜かれてしまうというのです。

 もっともだと思います。

 塩沼住職は「先生方は礼儀礼節を守り、約束や時間を守るといった、人として基本的な部分を正していくこと。歩き方や座り方、話し方、ご飯の食べ方、そういうところからも人格はにじみ出てきます。生徒から一挙手一投足を見られているという自覚をもって、先生方にはがんばってほしいですね」とコメントされていました。

 子どもたちから見られているということを私たち教師は、もっと敏感に感じなくてはならないと思います。そして、子どもたちだけでなく、保護者や地域の方々からも見られているという意識をもつことです。

 学校の外での挨拶や姿勢、表情など、意識的に気配りして、教師としての自分を確立しなくてはならないと考えます。

 学校を一歩出れば、教師も一般人である、プライベートは大切だ、という考えも分かります。しかし、少なくとも、学区を歩いている時は、教師としての威厳を大切にして言動してほしいものです。

 それができるから、教師は聖職者と呼ばれ、尊敬されたのです。

 冒頭の老教師は、きっと自分自身を厳しく律していた、そのことが風貌から子どもたちに肌で伝わったからこそ、騒がしい子どもたちも、静かになったのではないでしょうか。

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