毅然として 「教育は愛」No.347

学校教育

学校教育ー73 毅然として

◆子どもたちの自主性・主体性をはぐくむ、という名のもとに、何でも子どもたちに聞いて考えさせる風潮が主流になりつつあります。しかし、子どもたちに聞いて、「子どもたちが考えたことですから」「子どもたちが選んだものですから」と言って、少々的外れの教育をしている場面を見て愕然とすることがあります。

 廊下は歩く、当然のことだと思います。廊下を走って移動していては、必ず衝突や転倒などの事故、ケガが発生します。

 それなのに「廊下はどのように移動したらよいですか?」と子どもたちに投げかけて決めさせることをよしと考える教師をしばしば見かけます。子どもたちの事故やケガに結びつくことについては、子どもたちに「どうしますか?」と聞いて決めさせるのはナンセンスだと思います。

 地震が発生した時、「今、地震が起きています。みなさんは、どうしますか?」と悠長に聞いている場合ではありません。地震が発生したと同時に「机の下へもぐりなさい。頭を抱えるように」と即座に指導することが、子どもたちの命を守ることにつながるのです。

 「お店に行って、欲しい物を見つけたら、お金を払いますか?それともお金を払わずに持って行きますか?」とは間違っても質問しないのと同じです。万引きは犯罪です。絶対にやってはいけないことなのです。

 いじめだってそうです。絶対にやってはいけないことなのです。

 いけないことを、毅然として教える教師が少なくなっている印象をもってしまうのはなぜでしょうか?

 ひとつは、教師の価値観が子どもたちの自主性・主体性をはぐくむことに気を取られ過ぎて、やや歪んでしまっているからではないでしょうか。もっと言えば、自分で決められないのです。イソップ物語の「ロバを売りにいく親子」に似た現象となっているのではないでしょうか。

 教師たる者、自分の価値観に自信を持てるように自己研鑽をして、是々非々を毅然として指導できるようになりたいものです。

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