母のお弁当 「教育は愛」No.133

家庭教育

家庭教育ー12 母のお弁当・おふくろの味

◆歳を重ねると、今までの人生を振り返ることが多くなったように思います。

 少年時代を思い出すと、一番影響を受けているのは母だとしみじみ感じます。そして、自分はまだまだ、母に追いつけないでいるのを感じます。

 「貧乏ってのはするもんじゃねえ、たしなむもんです」これは、古今亭志ん生師匠の言葉です。粋なものです。私の少年時代は貧乏そのもの、しかし、悲壮感がなかったのは母のお蔭と感謝しています。たしなんでいたかどうか?は分かりませんが・・・

 母の作ってくれたお弁当にはいろいろな思い出があります。

 小学校は、給食でした。中学校に進学すると弁当持参になります。

 当初、母はお弁当の本を買い、張り切ってお弁当を作ってくれました。しかし、我が家には、そうそう弁当に時間やお金を費やせるほどの環境はありませんでした。

 やがて、弁当箱の真ん中にでっかい卵焼きがひとつポンと乗せられた弁当が登場しました。当時、弁当の時間は、ひとつの楽しみでしたが、私にとっては、苦しみの時間でもありました。

 友達から私の弁当のおかずについて冷やかされたのです。貧乏をたしなんでいた(?)我が家では、こんなおかずが続きます。最初、私のことをからかっていた友達も、当たり前のことになると関心もなくなります。私は、母に弁当について注文をつけることもせず、淡々とお弁当の箸を進めました。

 高校に進学すると、弁当のおかずなど関係なくなりました。量が問題なのです。2時間目が終わると、弁当箱を空にして、昼休みはパンを買いに走ります。部活動が終わるとまた、パンをかじります。食欲旺盛な時代です。帰宅してからはどんぶり飯をかきこみました。

 この頃のお弁当もダイナミックなものでした。海老を安く手に入れた時は、惜しみもなく全尾、天ぷらにしてみっちり詰めたごはんの上に所狭しと並べてくれます。この時は、母に称賛と感謝の言葉を贈りました。

 また、そぼろと卵焼きをみっちり敷き詰めてくれた時も、称賛と感謝の言葉を贈りました。すると、こちらは値段も手ごろだったのでしょう。蓋を開けると、そぼろと卵が来る日も来る日も続いたものです。しかし、私は大満足でした。

 時々、お稲荷さんが登場しました。母の油揚げは、ちょっと味が薄目でしたが、私は特段文句も言わず、美味しくいただいていました。ある日、味が濃いしっくりくるお稲荷さんが入っていました。これを絶賛するとこれ以降、同じ味のお稲荷さんが登場するようになりました。後で分かったのですが、この油揚げは味付けして市販されていたものでした。

 母が一生懸命に作ってくれていたのに、申し訳なかったなぁ、と心を痛めたものです。

 弟は、高校時代、母が用意してくれたお弁当の蓋を開け、必ずチェックします。

 そして、ほとんどの場合、持っていきませんでした。これが続くようになると母は、お弁当の代わりに500円玉を一枚テーブルに置くようになりました。

 私が、母に「甘やかし過ぎでは?」と進言すると、カラリと笑って、「いいじゃない、その方がよければそれで。お前は、弁当の文句はひとつも言わず、よく持って行ってくれたねぇ」と満面の笑顔でした。

 今でもそぼろと卵を食べる度に、母のお弁当を思い出します。

                「おふくろの味」といったものでしょうか。

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