教師ー68 熱量を上げて
◆運動会や音楽会の練習を見ていると、胸が熱くなるような情熱溢れる指導をする教師がいます。その教師が指導し、全力を出し切った子どもたちは、自分たちのパフォーマンスに感動し、涙を流します。なかには号泣する子どもまでいます。ここまでの熱量を持った教師が年々少なくなっているのを残念に思います。
子どもたちの心を動かすのは、教師の指導です。しかし、同じ言葉で指導しても、子どもたちが心を動かし、本気になる教師とそうでない教師がいます。
なぜでしょうか?
私は、その教師の持っている熱量の違いだと思います。「情熱」と呼んでもよいでしょう。熱量の高い教師は、子どもたちに“こうなってほしい”というゴール像を明確に持っています。ですから、そのゴール像とあまりにかけ離れていると悔しがり、子どもたちを叱咤激励するのです。本気になって、子どもたちにぶつかっていくのです。
やがて、教師の本気度合いが分かってくると、子どもたちの中に変化が表れてきます。
心ある子どもたちが立ち上がって、本気になって取り組んでいない友だちへ「本気になってやろうぜ!」と呼びかけるようになるのです。それがドミノ倒しのようになって、学級や学年全体に波及した時、子どもたちは無限大の力(パフォーマンス)を発揮できるようになるのです。
その時、感極まって、涙が出るのです。もちろん、教師の目にも涙が光ります。
私は、これこそ、教育の持つ最大の魅力だと思っています。
今、そつなく毎日をこなし、理屈で子どもたちを指導し、働き方改革を理由に割り切った教材研究、児童理解で指導する教師が増えてきたように感じています。教育とは、教師とは、もっと、泥臭くてよいのです。地味なものです。子どもたちを最初からきれいにまとめることなどできなくて当たり前なのです。
そこに、教師が“子どもたちを変容させたい!”という熱量(情熱)を持って、指導できて初めて、子どもたちは変容するのです。
私は思います。教師たるもの、熱量をもっと上げよう!と。熱量を極限まで上げて日々の教育に没頭すれば、見えなかった何かが見えるようになり、教育という営みの奥底にある醍醐味、楽しさに触れることができるのではないでしょうか。
熱量を上げた教育こそ、本気の教育だと、私は考えています。

