学校教育ー40 研究発表会は必要なのか?
◆学校では教職員が研究している内容を研究発表会という形で広く公開し、意見をいただきながら研究内容をさらに深化させようとしています。私も研修主任として、毎年、研究発表会に向けて準備してきたものです。さて、研究発表会はとても意義あることだと考えます。しかし、時として形骸化しているのではないか?と疑問を感じることもあります。
研究発表会では、研究授業を公開します。まず、この授業者を決めるのが一仕事です。
他校の沢山の先生方が来校するのですから、授業力の高い教師を選びたいところですが、諸事情により、授業者がなかなか決まらないこともあります。
この時点で、この研究は主体的に取り組んでいるのではなく、やらされている研究になっている感が否めません。
さて、授業者が決まると、学習指導案を長い時間かけて、練り上げます。これは、教材観を磨き、授業力を向上させるためには不可欠な研究です。そして、学習指導案が完成すると学年の他学級で事前授業をして、学習指導案が思惑通りに機能するか、確かめるのです。
これは、同じ学習指導案でも子どもが異なれば、反応も異なるので、授業を磨く上では、大変有効だと考えます。
そうして、研究発表会当日、見事な研究授業を公開し、研究協議会でも絶賛されて、素晴らしい研究発表会が幕を閉じるのです。
しかし、肝心なのは、研究発表会の後、研究成果をどのように教育活動に反映させ、子どもたちを育てていくか、ということではないでしょうか。
研究発表会がよい研究授業を発表することに終始してしまい、研究授業が終わると形だけの研究紀要だけが残る。しかも、キャリア段階がまちまちの教師たちにその研究授業がどのように捉えられ、どのような形で明日の授業に反映されているのでしょうか?
どうも、研究授業を発表することが目的となってしまっている研究発表会になっている感が否めません。
もっと、子どもたちを変容させるための研究としたいものです。そこに、果たして研究発表会が必要なのでしょうか?
形骸化して、開催することが目的となっている研究発表会には、実践力が伴っていないような気がしてなりません。
研究発表会を開催するなら、実践力が豊富に詰まっている、参会者がなるほど!と納得できるような内容にしたいものです。