評価の考え方 「教育は愛」No.614

学校教育

学校教育ー134 評価の考え方

◆体育主任時代、体育の研究校で「評価」について研究したことがありました。当時、評価についての先行研究がなかったため、手探りの中での研究でした。その時、指導者の先生からいただいたアドバイスが私の評価観の原点となっています。

 指導者の先生は、「評価の定義を自校で定めればいいのではないですか」とヒントを与えてくださり、私たちは評価の内容を称賛、紹介、修正、指導、観察の5つに分類しました。

 一般的には通用しないかも知れませんが、教師が子どもたちへの働きか、それを「評価」と名付け、教師行動を整理する研究でした。

 さて、これらは授業中に教師が行う行動、評価を指すものです。

 これとは別に、評定、世間で評価と呼ばれる部分についても研究を進めました。

 評価基準を定め、評定まで手続きする一連の手続きの研究です。

 教師は、単元を評定し、通知表で子どもたちや保護者に伝える際、とても悩みます。

 当時は5段階評価でした。

 なぜ、この子が体育で3なのか、4なのか、どうやって説明しよう?と悩みに悩んだものです。一応の評価基準及び評価規準を定め、決めるのですが、それでも割り切れない思いがあるのが通知表です。

 そんな思いを指導者の先生に直接、ぶつけてみました。

 先生のアドバイスは次のとおりです。

「評価(評定)とは、その子の能力を全て判断したものではありません。限られた範囲の行動や態度をもとにして判断したものに過ぎないのです。それ以上でなければ、それ以下のものではありません。もっと言えば、通知表は、その子の全てを評価しているのではない、ということを私たち教師は認識した方がよいのではないでしょうか」

 このアドバイスで、評価(評定)の考え方について腹落ちしました。

 子どもの全てを評価しているのではない、限られた範囲の中で、その時に表れた内容だけで判断したものに過ぎないのです。

 そう考えるだけで、気持ちが楽になりました。

 これは、教職員への人事評価も同様です。一緒に働き、その仕事内容の事実だけから判断した結果であり、その教職員の全てを評価したものではない、その教職員の一部を評価したに過ぎない、そう考えるととても客観的に評価できます。

 教職員であれ、子どもであれ、そもそも、人がその人の全てを評価しようと考えること自体に無理があるのです。評価できるのは、ほんの一部分です。

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