評論家と実践家 「教育は愛」No.266

学校教育

学校教育ー55 評論家と実践家

◆自分がまだ体育主任だった頃のことです。ある研修会で大変貴重なご示唆をいただいたことがあります。今でも忘れることができません。評論家と実践家の違いについてです。

 その研修会では、グループデスカッションがありました。テーマは「体育授業で教えるべき事がきちんと教えられていない現状がある。それは、なぜか?」というものでした。

 当時、埼玉県内から集まった体育主任たちがグループで熱心にディスカッションします。その内容は「教科書がないから、コツが分からないから、コツを示しても学校の先生方が実践してくれないから」等々・・・今思えば、言い訳ばかりが並んだものでした。

 そこへ、指導者の先生が登壇されバッサリと次のようなご指導をしてくださいました。

 「他人がやってくれない、困ったものだ、というのは意見ではない。これは、評論家のやることだ。もっと自分事として考えなければならない。体育主任として、何が足りなかったから先生方が実践してくれなかったのか、このような観点で話し合っていかなくては、実践家としての論は深まらない」

 このご示唆をいただいた後、私は、自分ができないのを他人の所為にしていたことに気付かされました。

 私たちは、実践家です。他人の所為にして、自分のすべきことを見失ってはいけないのです。確かに、どこの職場でも、目標を達成できないのを何かの所為にしようとする態度はしばしば見られることです。私も学校や教育委員会事務局で、そのような態度を何度も見てきました。自分自身も、そのように陥ってしまったこともあります。

 大切なことは、誰かがやらない、ではなく、今この時に自分は何ができるのか、ということです。それが、実践家として主体的に考え、行動する、ということではないでしょうか。

 評論家は、責任を取りません。後出しジャンケンの結果にもっともらしい理屈を付けるだけです。

 実践家は、自分でできることにベストを尽くすだけです。その結果が芳しくない時には、自省し、さらなる努力を重ねるのです。満足のいく結果が得られるまで、何度でも!

 幾つになっても、常に実践家として仕事に取り組む覚悟です。 

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