教師-26 謝ることができる教師の余裕
◆教師と言えども間違えることもあります。そんな時に、素直に「ごめんなさい」が言えるようになるには、結構、時間を要するものです。教師という立場を意識するあまり、子どもたちに謝ることができないのです。教師の沽券に関わるという気持ちからです。
私も、若い頃は「自分は教師だから・・・」と肩に力が入っていました。ですから、子どもたちの前で間違ったことを言ったり、やったりした時でも、「ごめんなさい」の言葉は意識して使いませんでした。
訳の分からない言い訳をまくしたてたものです。
ところが、キャリアを積んで、子どもたちとの関わり方にも余裕が出てくると、「ごめんね。これは先生が間違ったね」と自然に謝れるようになったのです。
つまり、心に余裕がない若かりし頃には、自分をよく見せたいあまりに虚勢を張ったり、ハッタリをかましたりしていたのです。
職場でも若い先生は、余裕がありません。子どもたちからよく見られたいという思いが強すぎてしまい、子どもたちの前で言動が一致しないこともしばしば見受けられます。
しかし、それはしごく当然のことなのではないでしょうか。教師という職業は、間違ってはいけない、という強いプレッシャーがつきまとうものなのです。ですから、「間違った!」と思っても、素直に謝れないのです。
公立学校の教師にはプライベートはない、と言われます。道路を歩いていても、信号無視をしてはいけません。教育公務員としての自覚、世間の目が常につきまとうのです。
こうしたプレッシャーを消化して、上手にプライベートを活用できるようになる頃には、子どもの前でも余裕が持てるようになるのです。
教師だって、ロボットではないのです。人間なのですから間違うこともあるのです。その時に、謝って、正せばよいのです。
しかし、間違うと言っても法に反する間違いは論外です。決して許されるものではありません。教師なのですから。