家庭教育ー1 家庭教育の原点は母親です
◆家庭教育こそ、人間が最初に経験する教育です。中でも、母親は特別な存在です。母のぬくもりに包まれ、母の声を最初に聞き、母の行動に大きな影響を受けるのです。私も例外ではありません。今でも母から学んだことが走馬灯のように思い出されます。
人は生まれて最初に学ぶのは母親です。これは人だけでなく哺乳類の動物はほとんどに共通することではないでしょうか。母親の存在は誰にとっても大きなものだと思います。
私は、幼い頃から母子家庭で育ったため、母親から受けた教育(影響)はとても大きなものでした。「逃げるな、卑怯なことはするな、我慢しろ、やるべき時には一気にやってしまえ、痛いのは生きている証拠、人がいいのはバカに通じる、腹が減ったら鼻でもつまんで寝ろ」等々、今でも母の声が聞こえてくるようです。
母は、神田生まれのチャキチャキの江戸っ子です。陽気でどんな逆境に立たされても弱音を吐くことはありませんでした。母は、戦争中満州に渡り戦後引き揚げて間もなく父親と死に別れ、神田の家も人出にわたり、大変な苦労をしたようです。荒川の近くに住んでいたため、荒川から蜆を取るのが母の役目で家族の食をつないだこともあったといいます。
中学校を卒業してからは大手の某時計会社に就職し、手先の器用さとソロバン、そして明るく前向きない性格から職場でも信用され一家の家計を助けたようです。当時の兄弟の中では、一番の稼ぎ頭だったそうです。
その後、結婚し、寿退社したところまでは良かったのですが、だらしのない父親の所為で、幼子の私と乳飲み子の弟と3人、東京から転居した埼玉県に置き去りにされてしまいました。その後、母は必死に働き、二人の子どもを女手一つで育て上げた強者です。
母は、学校の私の成績には何も期待していませんでした。成績には一切口を出すことなく、笑顔で私の通知表を見ては励ましてくれたものです。
それでも中学校2年生で奮起していきなり学年でトップに躍り出た時は、大変喜んでいました。
祖母は、私が中学校を卒業すると同時に就職させることを母に進言したと言います。明治生まれの祖母の感覚だと中学校を卒業したら働いて家計を支えるもの、ましてや母子家庭なのだからそれは当然のことと思っていたのでしょう。
しかし、母は本人が進学したければ進学させる、今の世の中、学歴は高い方が何かと有利、と言って祖母の意見に耳を貸さなかったそうです。これは、母自身が中卒で社会に出たため、仕事を探す際に資格を持っていないということについて苦労した経験から培った考えでもあったようです。母のお蔭で私は、大学を卒業し、念願の教師になることができました。
母の教育方針は、子どもに価値観を押し付けることなく、子どもが努力していることについては、出来る限りの支援をするというものでした。
そして、母の人生経験から集約された冒頭に列挙したような言葉を事ある度に繰り返していました。
中でも、状況がよくない時は、ひたすら我慢して状況がよくなるまで努力し続けることについては、母自身が身をもって実践し、私達兄弟に遺してくれた大きな教訓です。
「ジタバタしても仕方がない。今はじっと耐えるしかない。耐乏生活だ」
確かに人生、状況がどうしようもなく悪くなってしまう時は必ずあります。そのような時に、下手にあがいて余計なことをすると、かえってドツボにはまってしまいます。ジタバタせずに、今できることを懸命に努力することが肝要です。大切な母の教えです。
人間関係も同様です。昔、母は近所の人のデマから誤解され、陰口を叩かれたことがありました。その時も言い訳をすることなく、2人の子どものために黙々と働き続けました。
結局、母が正しかったことを近所の人たちは気づき、デマを放った人へ批判は向けられました。
母はどんな時でも子どもたちの前では、明るくサッパリとしていたものです。見事なくらいに!!
誰にとっても、やはり母親は家庭教育の原点であり、太陽のような存在なのです!