学校教育ー5 保護者の方と一緒に学べる学級懇談会を目指して
◆子どもたちに勉強することを望む前に、教師や保護者が自らが学ぶこと、勉強すること、はとても意義のあることだと思います。難しい数学を勉強しろ、と言うのではありません。子どもたちを逞しく、賢く成長させるために、私達大人は何をすればよいのか? そんなことを一緒に考えることができる学級懇談会を目指して実践してみました。
私が初めて小学校に着任した時、ある先輩からこんなことを言われたのを今でもよく覚えています。「若い男性の先生は得ですよ。学級懇談会では、誰も文句を言わないから早く終わりますもの」
確かに、学級懇談会に出席されるのは、母親がほとんどです。昭和の時代、若い男性の教師には、深刻な質問はぶつけられない時代でした。(令和の今では、それほど甘くはありませんが・・・)
私が知り得る限りでは、当時の学級懇談会は、保護者の方にお伝えする内容も、資料も、学年で共通のもので、内容もありきたりでした。行事のこと、集金のこと、あとは、PTA役員からの連絡事項で終了です。私もこれが当たり前の学級懇談会だと思っていました。
30歳を過ぎた頃、当時師事していたある先生の講話をお聞きする機会が定期的にあり、その先生の話の切り口やテーマがとても新鮮で興味深かったのです。いつしか、私もこの先生のように教育に関係するテーマを日常から見出し、誰かにお話しすることによりディスカッションしてみたいと思うようになりました。
お話しする対象は、教師仲間、担任している児童とその延長線上に保護者の方も入るようになりました。保護者の方にお話しする舞台は、学級懇談会です。資料を読んでいただければ理解できるような行事や集金の話を早々に済ませた後、学級の子どもたちの日常生活の中からテーマを設定して、資料を作成し、ミニ講話をします。その後、ディスカッションする、という形をとりました。
懇談会のテーマは、「いじめ」「社会性のはぐくみ方」「父性と母性」「学習習慣の身に付けさせ方」「誉めて育てる」等々、多岐に及びました。限られた時間の中でしたので、私のミニ講話といっても15分間程度です。
このような学級懇談会を継続している内に、口コミで保護者の間に広まり、参加者が増えるようになりました。時には、他学級の保護者からも参加したいという嬉しい声も耳にしたほどです。
私は、目の前の子どもたちのために懸命に学び、学級懇談会の資料を整え、お話しする内容も何度も吟味しました。そして迎えた学級懇談会では、保護者の方も一緒に我が子や級友への教育について真剣に考える、大学のゼミを彷彿させる心地よい学びの雰囲気が醸成されました。
その結果は、当然子どもたちに還元されます。私も日々の教育活動では、学級懇談会で得た保護者の皆様からの思いや願いを引っ提げて授業をしているという自負が高まり、毎日教壇に立つことが楽しくて仕方ありませんでした。
そして、次回の学級懇談会のテーマを子どもたちの生活の中から見つけるのも楽しい作業となりました。
私がこのような心境になったのは、教師生活15年間を過ぎてからでした。
今までの貯金だけで教育を考えてはならない、教師は、常に学んでいるからこそ、子どもたちに教えることができる、ということを師事していた先生や職場の先輩方から学ばせていただき、この学級懇談会によって、ようやく実感できたのです。
「学ばざる者、教える資格なし」この境地に至るまでには、時間と経験、様々な人たちとの出逢いが私には必要でした。
この姿勢は今も持ち続けています。プロ野球選手が自らのパフォーマンスを向上させ、レギュラーポジションを維持し続けようとするのに似た感覚かも知れません。
その後、管理職や教育委員会事務局の仕事に携わってからは、一緒に学ぶ対象が、主として教師となりました。教育のプロのである教師の前で話をするには、それ相応の勉強と準備が必要です。
また、管理職は、学級という単位ではなく学校全体を対象に話す機会も増えます。時には1,000人の子どもたち、数百人に及ぶ保護者、地域の方から講演会を依頼されることもありました。
そうなると、お話しする対象に合わせた話の内容を精査し、話し方にも決して飽きさせることのないような話術を磨き続けることも必要です。
保護者の皆様と一緒に学ぶ学級懇談会の経験が、私に新しい世界と学びを与えてくれました。
そして、味わい深い学びを演出するためには、楽しく、懸命に、学ぶことをモットーとしています。
楽しくなければ、長続きしませんから。