自分のルーツを学ぶ 「教育は愛」No.4

人生訓

家庭教育ー3 自分のルーツを祖父母から学ぶ

◆子どもにとって、父母から直接学ぶことは多いでしょう。しかし、祖父母から学ぶという機会は核家族が中心となっている今はなかなか無いかも知れません。それでも、祖父母から学ぶことは、大袈裟に言えば、自分のルーツを知ることであり、人生において生きる道標となることに繋がるのではないでしょうか。

 私の祖母は明治生まれで、大変我慢強い女性でした。パーマ屋さんでお釜を被っていた時機械が故障して異常な熱さになって、頭皮に火脹れが出来ても店員に何も言わず熱さに耐えたという話は、新年会の度に娘達(私の母親や叔母)の間で笑い話として繰り返されていました。

 祖母は、福井の造り酒屋に生まれ、東京の祖父に嫁ぎました。祖父の家は、神田にあり、何人もの職人を使い、当時3階建ての家に住んでいたそうです。

 祖父は、曾祖母に学問をしたいので大学へ行かせてくれるようお願いしたそうですが、許しを得られず、止む無く水道局へ勤めたそうです。

 その後、満州へ祖母や私の母達を連れて渡り、水道局の仕事をしていましたが、敗戦により逃げるように引き揚げ船に乗って戻ってきました。

 九州の港で何日も待たされ、船上で命を落とす人もいたとか。大変な思いをして、東京へ戻ったのですが、長女と死別、祖父自らも引き揚げの疲れから病に侵され亡くなってしまいました。

 残された祖母は、女手ひとつで残された6人の子どもたちを育て上げます。

 祖母は、関東大震災で上野の山に避難し、戦争で引き揚げを経験し、戦後の東京で子どもたちを育て上げた気骨ある女性です。

 その祖母から学んだ一番大きなことは「人間はいかなる時でも意地を持って耐えること、決して弱音を吐いたり、逃げたりしないこと」です。

 私は、子どもながらに祖母の真っ直ぐで強い瞳の輝きからその生き方を肌で感じたものです。そして、祖母は祖父のことをいつも誉めていました。「私や子どもたちに大きな声で怒ったことはない、とても優しくて大変な勉強家だった。」と。

 祖父のことを話す祖母の表情は、いつも自慢気でした。私は、写真でしか見たことはありませんが、祖母の語る祖父は私の尊敬する偉大な男性です。仏壇には、満州で撮影したモノクロの写真を飾っています。満州に渡り、祖父の仕事も軌道に乗り、幸せに包まれている頃の一家の姿ではないでしょうか。私は、手を合わせる度に、祖父を中心とする幸せそうなこの一家に、感謝の言葉を繰り返しています。

 祖母は、滅多に自分のことを話す人ではありませんでした。

 相撲が大好きでテレビ中継に見入り、時々力士のことを嬉しそうに話してくれました。

 ある時、私が祖母の故郷を質問すると、福井県の造り酒屋に生まれたこと、祖母の父親は村人たちへお金を貸してあげても返してもらおうとしなかったこと、村に学校を作ったら、農作業の働き手がいなくなると村人たちが竹やりを持って、父親に抗議してきたことなどを話してくれました。

 その学校には曾祖父の銅像があると、話してくれた祖母の顔はどこか誇らしげに見えました。いつか、訪ねてみたいと思っています。

 誰にでも先祖があり、その血脈の中のほんの一コマ、「今」という時代に生を受け、生きているのです。祖父母からその生い立ちを教えてもらうことは、自分のルーツを知り、今から未来へ、バトンを繋げていくためにも大切なことだと考えます。

 知ったからどうなるものでもないというご意見もあるかも知れませんが、私は決して無駄なことではないと思います。年齢を重ね、母とも別れ、今は亡き祖父母の写真を見る度にもっと祖父母の歴史をもっと聞いておけば良かったと後悔しています。

 そして、いつの日か、尊敬する祖父にお会いできるのを楽しみにしています。

                          「血は水より濃い」

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