学校教育ー6 学級通信の発行を通して学ばせていただいたこと
◆学級通信は、教師が考えている以上に保護者の皆さんは楽しみにしているものです。決して義務化されているものではありませんが、担任教師と保護者の思いや願いをシンクロさせ、子どもたちの教育に邁進する上では、とても効果的なものだと思います。そして、学級通信を継続して改めて気付かされたこと、認識できたこともありました。
私が新任教師だった頃、学級通信を熱心に発行される先生は、周囲にはいませんでした。必要なことは連絡帳や学年だよりで伝えているから学級通信を発行する必要はない、というのが主な理由だったように記憶しています。
保護者の方は、私に対して学級通信を定期的に発行するよう要求してきましたが、特別支援学校の複数担任制のこともあり、先輩教師のご指導宜しく、なかなか発行することができませんでした。
そんな私も教師になって15年を過ぎてから、初めて学級通信を毎日発行することができたのです。保護者の皆さんからの反響は絶大でした。中には「娘の嫁入り道具に持たせます」と感謝の言葉をお手紙に綴ってくださった方もいらっしゃいました。
当時の校長先生は「これで千葉先生は、本校で勤務している間は、ずっと学級通信を発行し続けなくてはならなくなったね」と言葉を掛けてくださいました。それだけ、保護者の間では評判になっていたようです。
私の学級通信は、子どもたちの長所や善行を見出し、記事にすることが基本でした。
スマホのない時代です。首からデジカメを下げ、子どもたちの生き生きとした姿を捉え、嬉しかったこと、頑張ったことを小まめに記録するように努めました。これを一日の終わりに記事にして、翌日発行します。
私の記録は、そのまま子どもたちの学習や生活の記録となり、日々の教育活動にも大変プラスに働きました。
やがて、私からの一方的な通信ではなく、子どもたちからの「一言日記」を掲載するようにしました。こうなると発想は膨らみ、保護者の皆さんからも「一言日記」を書いていただこうと思い立ち、順番に依頼してみました。
勿論、色々な事情からお断りされる方もいらっしゃいます。そこは、無理をしないことをルールにして、お願いしたところ、学級通信には、私と子どもたち、保護者の皆さんの3者の言葉が紙面を飾るようになったのです。この学級通信を通して、私は、教育の楽しさを存分に味わわせていただきました。本当に楽しかったです。
こうして学級通信を発行し続けると、子どもたちの長所を見出し、それをさらに伸ばすことに、とても積極的になる自分に気が付きました。
一緒に給食を食べている時でも、子どもたちの何気ない一言や行動に優しさを感じ、認識するようになれたのです。児童理解が今までより深くできるようになったと思います。
また、保護者間の関係も学級通信を通して良好になりました。我が子だけでなく、学級の子どもたちみんなに愛しさを感じ、学級全体が家族のような感覚に近づくことができました。
子どもたちは、毎日、帰りの会で配付される学級通信の記事を興味深そうに読み、大切にランドセルへ入れてくれます。学級通信が夕食の団らんの話題づくりにとても役立っているという感想をわざわざ寄せてくださった保護者もいらっしゃいました。
学級通信を毎日発行したことにより、子どもたちの言動一つひとつの意味を注意深く考え、子どもたちの心に寄り添うことができるようになりました。
そして、発行を継続することで保護者の皆さんとの絆が深まり、共通理解・共通行動ができるようになったのを肌で感じました。
教育というのは、保護者の皆さんの我が子への願いを担う尊い営みであることをこの時、改めて気付かせていただきました。
「学級通信の発行は、担任のスタンドプレーであり学年の和を乱す」という先輩教員のお考えも聞いたことがあります。
しかし、それは教師の横並び意識が働き、歪んだ「和」づくりの詭弁であるように思えてなりません。子どもたちや保護者の皆さんの立場から見れば、学校での生活を担任の先生は、どのように見てくれているのか、我が子は、学校ではどのような様子なのだろうか、と関心があって当然です。
この関心、期待に応えるために、担任時代の後半は、学級通信を毎日発行することを継続しました。
そして、この経験は、校長になってからの校長通信「教育は愛」の毎日、複数話のアップにつながることとなったのです。