校長が管理するのは自分の心 「教育は愛」No.18

教育

管理職ー2 校長が管理する優先順位1番は自分の心です

◆校長は、学校のトップリーダーです。今までのキャリアを校長という職を通して学校経営に邁進することが期待されます。決して、教師としてのアガリの職ではありません。トップリーダーと磨く力とは? そして管理しなければならないのは?

 校長になって最初の挨拶をした時の感覚は今でも鮮明に覚えています。

 ここにいる教職員とそのご家族の健康と幸せを守らなくてはならないという使命感、背筋にずんと来る重さでした。教頭になった時は、職員室の担任という表現がピッタリでした。教頭と校長とでは、背負う重さの違いを感じたものです。

 校長になると我が子を守らなくてはならない親と同じ心境になったのです。

 校長になったと手放しで喜んでいる場合ではありませんでした。

 校長の仕事は学校経営です。与えられた人材、予算、施設そして、法で定められた教育内容(教育課程)を管理しなくてはなりません。これらは、校長が全て直接作業できるものではありません。教職員が手分けして校務分掌と呼ばれる分担作業の中で進めていきます。

 校務分掌を決める時に校長が留意しなければならないことは、教職員の力を存分に発揮できるようにすることです。よく言われる適材適所の配置です。これを行うには、日頃から教職員とコミュニケーションを図ったり、教職員の情報が自分の耳に届くような人間関係のネットワークを構築しておかなければなりません。校長室にふんぞり返っている時間などないのです。

 私の好きな言葉に「トップリーダーは『高級な帽子』であれ」というものがあります。組織のトップに位置して目立つ存在でありながら被っていることが分からないほどの軽さであれということです。

 つまり、トップリーダーばかりが目立ち、そのために職員に圧力をかけてはならない、むしろ組織の中で居るのか居ないのかわからない位でありながら、きちんと成果を上げることができる組織をつくるリーダーであれ、という教訓です。

 ところが残念ですが、校長の中には、学級で出された宿題や子どもたちの些細な喧嘩の理由等、全てを自分が知っていなくては我慢できない、そして、それらの対応についての決裁権は、校長である自分だけが持っているのだから、勝手に判断するなと鼻息荒く職員に毒づく者もいます。

 確かに大事なことについての報告・連絡・相談は組織には必要です。しかし、責任をとるのは校長の自分だからと言って、全てを知りたがり、判断したがる自己顕示欲丸出しの態度はいかがなものでしょうか。

 校長をしていると「なぜ、こんな大事なことを勝手にやったんだろう?」とか「なぜ、このことを報告してくれなかったのだろう?」と思うことは、しばしばあります。

 その時、湧き上がってくる怒りの感情を抑え「どうしてこうなったのか?」と静かに自省し、必要と思われる心構えや組織の連絡体制について、具体的に諭せるようになることが大切です。

 私は、校長が管理しなければならない最も重要なこと、それは自分自身の心だと思っています。

 また、逆に校長は教師のアガリの職だから自分は何もやらなくてよい。全ては教職員任せという放任型、超楽観的な態度も誉められたものではありません。

 校長職に就いた者には、大石内蔵助のように大儀を胸に秘め、わざと昼行燈を演じていても、いざという時には斬然と教職員を指揮して結果についての責任は一身に受ける覚悟を自分の心に刻めるかが問われるのではないでしょうか。

 しかし、本物の昼行燈だと、いざという時には尻込みしてしまい、失敗すると教職員に責任を押し付けて逃げてしまうことも・・・。

 校長という職に就いたら、常に頭の中をアップデートして、人間力を磨き続けることが必要です。

 自分の心を管理するのは、そうそう容易いものではありません。それなりの研鑽を積まなければ習得できるものではありません。

 人間力を磨き、自分の心を管理できるようになるための勉強方法は、書物、歴史、セミナー等々、沢山あります。

 私の経験から最も有効だった勉強方法は、自身のロールモデルを探し、まねることでした。今なお、その方法で学ばせていただいています。

 勉強方法は、管理職の数だけあるでしょう。大切なことは勉強し続けることです。

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