2024-10

体育授業

めあて 「教育は愛」No.141

子どもたちの能力は子どもの人数分異なります。従って、めあても子どもの人数分だけあるのです。これが、令和になってよく言われるところの個別最適化の学習です。どの子にも明確なめあてを用意し、絶えざる挑戦性を用意することが教師の仕事です。
体育授業

チームワークを学ぶ 「教育は愛」No.140

チームワークは、教師が説明してすぐに高まるものではありません。高学年にもなると、同じチームの中でもなかなか本音が言えず、マイナスの雰囲気になることもしばしばです。喧嘩になることだって珍しくありません。しかし、そんな時こそ、真のチームワークを学ばせる絶好の機会です。トコトン本音を出させて、わだかまりをなくすところに真のチームワークを見出すことができるのです。
体育授業

高学年の体育授業 「教育は愛」No.139

高学年の体育授業では、中学年より一段上の知的理解が進みます。動きや運動についても知的に探究できるようになることが高学年の特徴です。同時に、器械運動では、できる・できないがより明確になるので、苦手な子どもは敬遠するようになる傾向もあります。子どもたちの運動技能に大きな差が出る高学年の子どもたち、この差をいかに吸収しながら授業をプログラムするかが、子どもたちを夢中にさせる授業の重要な鍵となります。
コラム

プライドが高い厄介な人 「教育は愛」No.138

プライドが高すぎて厄介な人が、どこの世界にもいるものです。このような厄介な人は能力は高いのですが、他人に対する心遣い、配慮に欠けている傾向があります。自分は、周囲の人よりも優れていることを自負しているのです。このような厄介な人とお付き合いするためには、淡々とビジネスライクに接することがポイントです。できれば、関わり合いを最小限に止めたいものです。
コラム

若々しい魅力的な方 「教育は愛」No.137

何歳になっても年齢を感じさせない魅力な方がいらっしゃいます。そのような魅力的な方々とお会いした時、若さと健康の秘訣について質問させていただきました。答えは、特別なことではなく、食事、睡眠、運動、趣味など、身の回りのことについて、継続的に気を付けていらっしゃる、ということでした。若さと健康は遠いところにあるのではありません。身近なところにあるのではないでしょうか。一番大切なのは、心の持ち方なのかも知れません。
中学年

体で表現する楽しさ 「教育は愛」No.136

表現運動で体を動かし、表したい感じを表現するためには、自分の体を思い通りに動かすことが求められます。本人は真っ直ぐ手を伸ばしているつもりでも、実際には伸びていない、これは、自分の体の現在の状態をイメージできないのです。もっと言えば、自分の体の使い方が分からないでいる、と言ってもよいでしょう。これは、幼児期からの運動経験の不足が原因しています。基礎的・基本的な感覚や動きは、幼児期から積みかさていきたいものです。
人生の師

研究スタイル 「教育は愛」No.135

髙橋健夫先生の研究室で1年間、研修する機会を得た私は、学生さんたちと協働研究をさせていただくようになりました。そして、研究経過を勉強会で発表すると、髙橋先生から「現場の先生は、できるようになったことばかり発表しますね。もっと、できなかった子どもに視点を当てて研究を進めた方がよいのではないでしょうか」とご指導いただきました。目から鱗が落ちるとは、この時の私の心境です。以後、私の研究スタイルは、できなかった子どもをどのようにできるようにするか、という切り口で進めるようになりました。
人生の師

髙橋健夫先生の授業研究 「教育は愛」No.134

私が人生の師と仰ぐ髙橋健夫先生は、学校現場に根ざし、体育授業研究を進める上でとても効果的な授業評価法を確立されていました。私は、この授業評価法を活用して体育科の授業研究を進めていたのですが、幸運にも髙橋健夫先生に1年間師事できる機会に恵まれました。髙橋先生の体育科教育論、会う人を皆、魅了するお人柄、私の人生に大きな影響を与えてくださいました。
家庭教育

母のお弁当 「教育は愛」No.133

母のお弁当にはいろいろと思い出があります。中学生、高校生に母が用意してくれたお弁当。おかずは粗末なものでしたが、有り難かったです。母は、働きながら短い時間を使って私のために一生懸命にお弁当を作ってくれたのです。それだけで感謝の気持ちでいっぱいです。そぼろと卵焼き、私にとってはおふくろの味です。
中学年

投力の向上 「教育は愛」No.132

投力は、昭和60年くらいをピークに年々低下しています。平成、令和の時代になっても向上する気配がありません。これは、子どもたちの経験不足からくるものです。子どもたちは、自分の体の使い方が分からないまま年を重ねているのです。ですから、正しい動きを引き出すような運動を手順良く指導する必要があります。投力の低下は、投力だけの問題ではないのです。体の使い方という人間の運動機能の根幹にかかわる問題なのです。