2024-11

学校教育

問題児への指導 「教育は愛」No.151

問題児と呼ばれる子ども、それは、たまたま教師や大人の思い通りの行動ができない子どものことを指しています。問題があるのは子どもたち一人ひとりの長所を見出そうとしない教師の側にあるのかも知れません。私も問題児として教師の手を煩わせていた子どもでした。自分の良いところを見出そうとして誉めてくれた教師には心を開くことができました。しかし、反対に、私の短所ばかりを指導しようとされた先生にはなかなか心を開くことができなかったものです。
体育授業

全力走 「教育は愛」No.150

昭和の時代、50m走は子どもたちの人気種目でした。とてもシンプルですが、全力で短距離を走りきる爽快感や競走が楽しくて仕方なかったのです。ところが、平成の時代に入ると競走への価値観が低下して、全力で走りきる経験が子どもたちの中に少なくなってしまったのです。令和の時代になっては、全力で走る経験さえ知らない子どもが増えている感がします。全力走は、自分の体の使い方を知る上でも大変重要な種目だと考えます。
体育授業

クロールと平泳ぎ 「教育は愛」No.149

水泳の授業を指導しているとクロールを習得してから平泳ぎに入るという慣例的な学習過程が一般化されているように思います。スイミングスクールでは、必ずしもクロールを第1に指導するようなプログラムではないようです。どのような泳法指導の学習過程がよいのでしょうか。教師には、子どもたちの実態に応じて、柔軟に工夫することが求められているように感じています。
学校教育

悪口を学級から閉め出す 「教育は愛」No.148

悪口は、いじめと同じです。小さな芽のうちに摘んでおくことです。悪口が学級の中にはびこると、人間関係に負の連鎖が生じてしまいます。学級に肯定的な人間関係を築くためには、悪口は、絶対に言わないこと、そういった教師の価値観を毅然と指導します。
学校教育

グループ編成で人間関係を 「教育は愛」No.147

子どもたちは、自分たちでいろいろな友だちとグループをつくることが苦手です。ですから、初めは教師主導でいろいろな友だちとかかわれるようなグループを意図的に編成することが必要だと考えます。はじめのうちは、固執していた子どもたちも、いろいろな友だちとのグループを経験していく内に、誰とでも一緒に活動できるようになっていきます。
体育授業

水に入ってこそ水泳 「教育は愛」No.146

水泳の授業は、頭で理解させるのではなく、実際に水に入って体を動かしながら泳ぎ方や浮き方を理解させるものです。小学校の教師は、プールサイドで熱弁をふるいます。スイミングのインストラクターは、水の中で補助しながら水に対する体の動かし方を指導します。この違いを小学校の教師もしっかりと理解し、そもそも、水泳とは水に入ってこそ初めて学習できるものである、という意識を変えた方が良いのではないでしょうか。
体育授業

苦手な子どもへの指導 「教育は愛」No.145

苦手な子どもへの指導のタイミングは、授業設計の工夫をしてみてはいかがでしょうか。始めに学び方を指導し、子どもたちが自分たちで協働学習できる学習の素地を築きます。そうすれば、単元が進むに連れて、子どもたちが自主的に学習を始めるようになり、教師に時間が生まれます。その時間を活用して、苦手な子どもへの指導を重点的に行ってみると、効率よく授業を進めることができます。
コラム

自慢話ばかりの厄介な人 「教育は愛」No.144

過去の自慢話ばかりする人は、今を生きていません。まだ、過去に生きているのです。また、同じ自慢話を繰り返す人は、ひょっとすると認知症が入っている可能性もあります。自慢話を始めたら、できるだけ上手にその場を立ち去ることをお勧めいたします。
コラム

後輩を育てる魅力的な方 「教育は愛」No.143

後輩を育てようとしてくださる魅力的な方との出会いは、人生の宝物です。私も仕事で行き詰まっている時に、大先輩のあたたかい一言で救われたことがあります。この方のように後輩を育てようとされる魅力的は方には、幾つかの共通点があるようです。
体育授業

鉄棒痛いをどうするか?  「教育は愛」No.142

鉄棒の授業をすると2つの痛いにぶち当たります。手の皮とひかがみの痛みです。この予防策として、サポーターなどの防具としての教具が効果的です。しかし、令和の時代に、保護者の理解を得るにはどうすればよいのでしょうか。担任の熱意と誠意で保護者との信頼関係を構築し、保護者に子どもの背中を押してもらえるようにすればよいのですが・・・。