2025-03

職場

人事異動は謙虚に真摯に 「教育は愛」No.270

人事異動は、謙虚に、真摯に受け止めるべきだと考えます。そして、新しい職場、新しい職種に人の和の力を高めながらチャレンジしていくことが賢明だと思っています。たとえ、未知の仕事、職場でも、人の和を活かせば、必ずや解決できるはずです。大切なのは、好ましい人間関係の構築です。
職場

チームとして 「教育は愛」No.269

学校は子どもたちを教育しています。ですから、時として担任はお山の大将的な稚気を振るい、独り善がりの教育をしてしまうこともあります。学校は、ひとつのチームです。学校の教育目標、校長の学校経営方針等は、教育委員会のビジョンを塾考して練られたものです。この方針をもって自分が担任している子どもたちの教育をつかさどることが必要になるのです。私たち教師の仕事は、すべて子どもたちの姿に表れます。そのことをしっかりと自覚して、チームで教育することを自覚する必要があると考えます。
教師

学ぶ姿勢と容貌 「教育は愛」No.268

論語の中に、学ぶ姿勢について大切なことを3つ書かれているものがあります。これによると心の中は、容貌に表れてしまうそうです。だからこそ、自分の心に誠をもち、崇高な志を持ち、容貌にもそれが表れるようにしておくことが大切であると説かれています。教師も、心のうちを子どもたちに読まれてしまうことがあります。心を常に浄化し、志を高くしておくことが教師には特に求められると思います。
教師

年度末の風景 「教育は愛」No.267

私が好きな年度末の風景があります。それは、今の学級の友だちや担任の先生が大好きで、このまま上の学年に上がりたいと子どもたちが口にする風景です。互いに愛おしがっている子どもたち、担任教師、その姿、風景が私は大好きです。担任時分は、そうした声を自分への一番の報酬だと考えていました。
学校教育

評論家と実践家 「教育は愛」No.266

評論家は、誰かがやらないからできないのだ、と他人の所為にして、自分の努力は語ろうとしません。実践家は、なぜ、できないのか、自分に何が足りなかったのかを省察し、謙虚に努力を重ねます。学校教育を推進する教師は実践家です。他人のことなど論じている場合ではありません。私は幾つになっても実践家として仕事に取り組む覚悟です。
生涯学習

切り花  「教育は愛」No.265

私は、切り花を飾るのが大好きです。担任時分には、切り花を通して、生命の大切さについて教えてきたつもりです。いつまでも枯れたままのお花を花瓶にそのままにしておくことは、命の教育においては、いかがなものか、と考えていました。花は見頃があり、散り際もあります。どこか人生に似ているように思うのは、自分の年齢の所為でしょうか?
学校教育

卒園式と卒業式 「教育は愛」No.264

中学校の卒業式と幼稚園の卒園式に来賓として参加してきました。どちらも大変感動的で、胸が熱くなりました。そして、改めて、卒園式、卒業式は子どもたちにとっても、保護者の皆様にとっても、大切な歴史の一部であり、人生の節目となる重要なセレモニーだと実感しました。卒業式では、子どもたち、保護者・地域の皆様、教職員の心がひとつになります。ひとつになって、限りない愛情を注ぐ大事な時間、セレモニーです。次はいよいよ本校の卒業式です!
学校教育

歌唱  「教育は愛」No.263

卒業式の歌唱指導を見ていて、発声や声の大小だけなく、大切なのは歌を通して伝えたい気持ちの持ち方であることだ分かりました。気持ちが入っているからこそ、歌詞に力が入り、聴いている人に感動を与えるのでしょう。宝塚歌劇のジェンヌさんたちの役作りを彷彿とさせました。
職場

学校とPTAは敬愛で 「教育は愛」No.262

PTAは、学校には欠かせないものだと私は思っています。PTA役員の皆様は、お忙しい中、ボランティアスピリッツを持って活動をしてくださっています。このような方たちと学校はもっと交流を深めるべきだと考えます。まずは、この方たちを管理職が率先して大切にするのです。学校とPTA役員さんたちとの間には「敬愛」を持って絆を深めてはいかがでしょうか。その成果はすべて子どもたちに反映されるのですから。
職場

視野の広さ 「教育は愛」No.261

職場でいろいろな人と仕事をしていると、職員一人ひとりの視野の広さが気になります。年齢に関係なく、視野の広さは異なるものです。常に職場全体を俯瞰して見ている職員の意見は「なるほど」と思うことが多いのです。反対に自分のことばかり考えている職員の意見は、独善的で我が儘です。聞くに堪えません。私は、キャリアに従って、視野も広くしていく必要があると思います。ましては教師は、子どもたちに生き方まで導かなくてはならない存在なのですから。