教師ー36 自分を高めようとする教師
◆教師には、民間企業のようなノルマは課せられていません。人事評価で主体的に目標を定め、その結果を自己評価し、管理職から評価してもらうシステムはあります。しかし、自分で能力を高めようとする気持ちを強く持たなければ、努力せず日々の仕事を続けることもできます。自分を高めることについては、個人差が顕著になるのが教師の世界です。
教師の中には、ナルシスト的な教師もいます。根拠なく自分の能力を誇り、独善的になってしまう教師です。自分の耳に痛いことは拒否します。自分が全てという価値観に支配されているので、教師としての能力も、人間力も深まりも高まりも見られません。それどころか、一緒に学年を組みたいという教師も少なくなってしまいます。あとは、子どもたちから呆れられないことを祈るばかりです。
反対に自分から教師としての力を高めようと努力している教師も少なくありません。常に自分の足りないところを見出そうとして、日々の努力を欠かさない教員です。その姿は、新しい治療法を必死に獲得しようとしている外科医の姿と重なります。外科医は、人の命を預かる存在です。決して妥協は許されません。
その思いに近い覚悟を持って、努力している教師を見ているとこちらも励まされます。
今日も、一人の若い教師が、教師としての自分の理想像や理想とする児童像などについて相談に来ました。その教師の熱い思いと教育に対する真摯な姿に心打たれ、ついつい、時間が経つのも忘れてしまいました。
この教師の学級はあたたかく、愛情に溢れています。ですから、子どもたちの表情も明るく、とても礼儀正しい態度がとれるのです。この教師は、礼儀正しく振る舞える子どもを自分の目指す子ども像に掲げていました。
子どもたちだけでなく、保護者からの信頼も絶大です。
担任教師には分からないかも知れませんが、保護者の目は鋭く、確かです。何かの機会に校長に寄せてくれる担任への労りの言葉が真理を物語っています。
それに比べて独善的な教師に対する保護者の論評は厳しいものです。
私たち教師には、常に子どもたちのことを思い、自らの能力を真剣に向上させる努力を重ね続けることが求められているのではないでしょうか。