配慮しない配慮 「教育は愛」No.286

教師

教師ー37 配慮しない配慮

◆体育主任として、自分が脂の乗っていた時のことです。県の大規模な研究協議会で司会の大役を仰せつかった時の先輩教師からのアドバイスは、心に深く残りました。

そして、そのアドバイスのお蔭で自分自身、ひとつの殻を破ることができたと今でも感謝しています。

 研究協議会が盛会のうちに終え、関係者が集う懇親会に参加しました。その場では、様々な先輩方や仲間から、私の司会進行について称賛の言葉をいただきました。

 私も今回の司会を進める上で、資料を読み込み、何度も頭の中でシミュレーションして臨んでいただけに、称賛の言葉は心地よく、美味しいお酒をいただいていました。

 すると、一人の先輩が次のようなアドバイスをしてくださったのです。

 「千葉先生の司会の仕方を聞いていて配慮しない配慮の必要性を感じました」

 先輩によると、私の司会は、研究協議の柱にターゲットが絞られていて、ピンポイントの話題から外れることのない雰囲気だったというのです。私は、それが研究協議のあるべき姿だと考えていたので、先輩のアドバイスに最初は戸惑いました。

 「私は、千葉先生の司会をたった10分間お聞きしただけで、感じたことを言わせていただいただけです。頭から尻尾までお聞きしていなかったのに、何て失礼なことを言うんだ、とお思いになるかも知れません。ただ、私も40歳を迎えてから自分自身で決めたことがあるんです。これからは、若い方には良かったよ、だけではなく、必ず何かについてアドバイスしていこうと、失礼に思われたらお許しください」

 とても紳士的なアドバイスに当時、感動してしまいました。

 そして、自分の狭い器量を反省したものです。

 今、このような耳に痛いアドバイスをされる教師が少なくなってきたように感じています。表面的な「和」は、単なる「事なかれ主義」であり、真心は存在しません。

 もっと、真心を中心に置いた人間関係を築いていきたいものです。

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