教師ー55 価値観の違いはOSの違い
◆ある講演で「積載しているOSが違うと考える」そうすれば、理解に苦しむことはない、という話を聞き、自分の中にあったモヤモヤが解消した気分になりました。
講演では、教師と子どもの間の話で出てきたフレーズでした。
しかし、私は教職員に置き換えて考えていました。「どうして、そのような考え方をするのだろう?」「なぜ、理解してもらえないのだろう?」と悩むことが多々ありました。
私はそれをジェネレーションギャップではないかと考えていました。昭和生まれ、昭和の時代の学校教育に染まっている私とコロナ禍や働き方改革を経験している令和の時代の教師とのギャップだと考えていたのです。
しかし、若い教師でも、話が通じる者も少なくありません。価値観が似ているのです。子どもたちのよりよい変容を教育という営みの第一義と捉えていること、この価値観が一致していると、いろいろな話が通じるものです。
ところが、子どものことよりも自分の理屈を優先させ、自己満足に浸っている教師とは、どうやっても意見の一致を見ることはありません。
その原因は、積載しているOSが違うと考えれば、全てきれいに納得できました。同等の機能を有していても、OSが異なるのですから、作動しないし、情報も共有できません。
きっと、私の感じているもどかしさを相手も感じていることでしょう。
解り合うこと自体ができるはずないのです。OSが違うのですから。
OSが同じ者同士なら、情報も共有できるし、協働作業も可能でしょう。
その根本を理解して、人を識別していくことができれば、悩むことも少なくなるのではないでしょうか。大切なのは、積載しているOSです。