教師ー58 人として
◆特別支援教育のスペシャリストの方とお話しさせていただく機会がありました。当初、特別支援教育の専門的なお話しに花が咲いていましたが、やがて、教師のあるべき姿や人としての基本的な欲求など、話題は人間学まで発展しました。
教育の原点は特別支援教育にある、これは私の教師としての持論です。私自身が特別支援学校で教員生活をスタートさせ、その時の経験から言える信念です。
そして、教育とは、人が人と関わりながら、社会で生き抜き、さらによい社会をつくっていく力をはぐくむ営みです。それが、特別支援教育、小学校教育、中学校教育、高等学校教育、大学教育、どの校種、ジャンルにおいても変ることのない不易のものです。
人と関わって生きていく上で、人が本来もっている社会的欲求、安心感をもつことができる環境、他人に共感する能力などを知り、実践していくことが必要だと思います。
私は、体育科教育をライフワークとしていますが、特別支援教育で学んだ子どもへのアプローチや児童理解は、そのまま小学校でも活用できました。基本は同じなのです。
それどころか、管理職になって、教職員へどのようにアプローチしていくか、保護者や地域の皆様への接し方に至るまで、全ては共通した考え方に基づいています。これは、教育という枠を超え、どのように人間を理解していくか、という“人間学”の分野に入っていると自分では捉えています。
ですから、私の今までの読書歴を紐解いてみると、最初は、体育関係、教育関係の文献ばかりでした。そのうちに、人としてどのように生きていくかを求めて、自己啓発コーナーに並ぶ文献が圧倒的に多くなりました。また、自分の心に響く著者として、安岡正篤氏、中村天風氏、伊藤肇氏、デール・ナーネギー氏、司馬遼太郎氏などの本は、事ある度に繰り返し読み、マーカーでマークし、書き抜いて、生きる糧としています。
教育は行き着くところ、教師、教師は行き着くところ人間力、教育者としてよりよく社会に貢献するためには、“人間学”を学び、人生を学ぶことが肝要だと考えています。
その中に、子どもへの接し方、保護者・地域への接し方も含まれるのです。この基盤があって初めて、教科教育が成り立つものと考えます。
特別支援教育のスペシャリストの方とお話ししていて改めて、そのことを確信した次第です。