恩師ー4 菊の花
◆見事な菊の花を観ると思い出します。かつて恩師は、菊づくりの達人でした。その先生は菊づくりを本格的に学び、自らも工夫し、各種展覧会に出品しては、優秀な賞を数多く受賞されていました。
一切の妥協を許さない先生で、菊づくりに関しても例外ではありませんでした。
見事な菊をお庭やお部屋に幾つも飾られていたのをつい昨日のことのように思い出します。作品のバリエーションも多彩で出品されるジャンルごとに丹精されていました。
ある日、先生は学校でよく見かける一人一鉢運動のことについて、ご指導してくださいました。
「一人一鉢運動をよく見かけます。自分の花を大切にしている姿は立派なことだと思います。やがて、咲き誇っていた花が枯れてきても放置されたままになっているのを見ていると何のための一人一鉢運動なのか?と残念に思ってしまいます」
「花にも命があるのです。その花の命が尽きたところで、始末の仕方もきちんと教えなくてはなりません。枯れ果てた姿をいつまでも晒しておくような残酷なことはしてはいけないのです」
「花の盛りが過ぎたところで、花に感謝しながら、始末する。その時、命の有限性について、子どもたちは理解するのではないでしょうか」
このご指導を拝聴し、自分の指導を猛省しました。
私は、花が盛りを過ぎても、いつまでも花瓶にさしていました。結果、生気を失った切り花が、子どもたちの目に入り続けたのです。
花の命は短いもの、歌の文句ではありませんが、そのことをもっと、しっかりと子どもたちに教えなくてはならなかったのです。
学校教育では、スタートは勢い込んで指導するのですが、フィニッシュになると曖昧になってしまうことが多いのではないでしょうか。
そのことが端的に表れるのが一人一鉢運動だ、と先生はご指導してくださったのです。
命だけではありません。何事にも始めがあれば、終わりもあるのです。
秋の夜長に、哲学的なことを反芻しながら、恩師の見事な菊を思い出していました。

