挨拶交わせない厄介な人 「教育は愛」No.27

コラム

コラムー5 挨拶を交わすことができない厄介な人

 ご近所でも、職場でも挨拶を返してくれない厄介な人がいませんか?

 こちらから、今日は挨拶してくれるかな?と期待を込めて挨拶をしてみても判で押したように無視されるばかり。やがて、こちらも挨拶するのが馬鹿らしくなってしまいます。ことにこの手の人が職場の上司だったら・・・「何かやらかしたかな?」「怒らせるようなことしちゃったかな?」「嫌われてしまったかな?」と色々と考えてしまい肝心の仕事も手に付かないことも・・・。

 なぜ、挨拶を返してくれないのでしょうか。気が付かなかったからでしょうか?それにしても毎日、繰り返されている挨拶に気が付かないはずはないと思いますが・・・。

 そもそも挨拶を交わすという習慣が身に付いていないからでしょうか?日本の学校教育では、挨拶を事あるごとに教育しています。それはないでしょう。

 目下の者に挨拶をする必要性を感じていないからでしょうか?これは、あり得る話です。挨拶されることは当然として、上司の方からは返さない。高校の運動部での先輩・後輩の挨拶にもこれに似た慣習をよく見かけてきました。

 さて、ここまで理由を探ったところで、そもそも挨拶とはなぜ、行うのでしょうか。

 始まりは仏教の修行のひとつだと言われています。自分から心を開いて相手に迫ること、それが挨拶の始まりだと言われています。その後、その日の気候なども話題としながら、他人に対する親愛の気持ちを表現するための外交辞令として定着しています。

 「おはようございます。」に一言添える。例えば「今日は暑いですね。」「昨日の仕事はよく頑張ったね。」などと言葉を交わすと親密さや思いやりまで相手に伝わり、好ましい人間関係が構築されていきます。

 人は誰しも一人では生きていけません。ましてや年齢が異なる人間が集っている職場では、協調性やコミュニケーションが求められます。チームワークで仕事を完遂させなくてはならないからです。

 そして、仕事の完遂には、上司も部下もありません。同じチームの一員なのですから心を通わせる必要があります。率先して挨拶を交わし、気持ちの良いチームにしたいものです。

 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」、できれば上司の方から先に部下に明るく、爽やかな挨拶をすると挨拶の習慣も定着しやすくなるのではないでしょうか。

 私も教員時代、子どもより先に、管理職になってからも教職員よりも先に挨拶するよう心掛けました。

◆挨拶の必要性を書かせていただきましたが、挨拶を返してくれない厄介な人とはどのように付き合ったらよいのでしょうか?

 私は、そういう厄介な人とは、無理して良好な人間関係を築く必要はないと思います。それが例え上司だとしてもです。しかし、こちからの挨拶は続けてみましょう。挨拶を返してくれなくてもいいではありませんか、挨拶もできない人と親しい人間関係を築こうなどと望んでいないのですから。こっちからお付き合いは願い下げです。

 そのように割り切って、自分では挨拶を習慣付けてみるとよいのではないでしょうか。

 一番のマイナスは、挨拶を返してくれないことを気にし過ぎて、アレコレと悩んだり、挨拶をすることに戸惑ったりする余り、いつしか自分自身が挨拶をできない厄介な人になってしまうことです。

 そもそも、挨拶とは、お坊さんの修行のひとつだったという説もあります。修行のつもりで、毎日、明るく、爽やかな挨拶を心がけてみてはいかがでしょうか。

 きっと、ご自分のひとつの挨拶が種となり、素敵な人間関係の樹木が茂るようになるはずです。

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