学校教育ー16 妙な横並び意識は考えものです
◆公立学校は、教育の内容・質も皆平等であるべきです。これは当然のことなのですが、教師の資質・能力は決して平等ではありません。教え方が上手な教師もいれば、子どもたちから信頼され、数多くの子どもたちから相談を受けている教師もいます。十人いれば十色なのが教師です。
それなのに、学年や学校である種の妙な横並び意識を声高に唱える教師がいます。その横並び意識は時として、教育の質の低下に結びつくことさえあります。
私がそれを強く感じたのは、低学年の担任をした時のことでした。私は、当時学級通信を毎日発行することを習慣としていました。子どもたちはもちろんのこと、保護者の皆さんも大変楽しみにしてくれました。このことは、学校の中でも評判になっていたようです。
そして、4月に新しい学年がスタートすると同時に、学年主任から「学年の平等性が保てないので学級通信を発行するのをやめてほしい」と言われてしまったのです。私は悩みましたが、新学期学年のスタート早々、波風を立てたくないので、不本意ながら了承しました。
教師には、それぞれの持ち味があります。
授業展開がとても巧みで、子どもたちを夢中にさせてしまう授業力を持った教師もいます。その教師に「学年の平等性が担保できないから子どもを夢中にさせるような授業はしないでほしい」と言えるでしょうか?
あるいは、保護者とのコミュニケーションが上手で、保護者から信頼を受けている教師に平等性を理由に「保護者との信頼関係を築くのをほどほどにしてほしい」と言えるのでしょうか?
私は、たまたま学級通信の発行が自分の学級経営の持ち味としていただけです。決して学年の和を乱そうとか、自分だけ目立とうとかいう考えはありませんでした。
学級通信を発行することが私と子どもたち、保護者の皆さんとの信頼関係を深めるのに有効だという経験則から取り組んでいたのです。
公立学校の世界には、何かに一生懸命に取り組もうとすると、自分はまねできないと判断した途端にそれを止めさせ、自分のレベル以下に抑えようとする傾向が時々見受けられます。
それが当たり前になれば、公立学校のレベルは頭打ちです。もっと、いい意味での競争原理やチャレンジを積極的に働かせて、教職員全体の向上心に結びつけた方がいいのではないでしょうか。
最も、これは学校の世界だけではないかも知れません。色々な種類の組織で見られることなのかも知れませんが。
教師の授業力や学級経営の力は、職人芸です。
日々の業務の繰り返しから、技を磨いていくものです。決して一朝一夕にできるものではありません。
ですから、経験年数に関係なく、自分が試したいことは、積極的に臨床し、治験を増やしていき、できれば研究発表会等で発表し、その技に磨きをかけていくことが欠かせないのではないでしょうか。
「○○先生には、できても、私は△△で忙しいからできない。だから、○○先生にもそこまでやってほしくない」という後ろ向きの横並び意識が横行するような学校では、未来を拓く教育を生み出すことはできないでしょう。
「自分が子どもたちや保護者からどう見られるか?評価されるか?」などということを気にし過ぎないことです。
それより、今の自分でもできる、最善の手法を考え、そのスキルを磨いていく方が何倍も建設的です。
妙な横並び意識から、チャレンジしようとしている者を止める権利は誰にもありません。